【中心聖句】
エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブについた(8節)
預言者エリヤは北イスラエル王国の民とバアル神の預言者450人をカルメル山に集め、二頭の雄牛を準備させてバアルとイスラエルの神のどちらが牛を載せた薪に火をつけられるか競うことを提案しました。
バアルの預言者たちは「狂ったように叫び続け」ましたが、結局、何もおこりませんでした。一方、イスラエルの神はエリヤの祈りに応えて捧げ物としての雄牛を焼き尽くしたのでした。それを目の当たりにしたイスラエルの民は「主こそ神です。主こそ神です」と言ってひれ伏すとともに、バアルの預言者たちはエリヤによって皆殺しにされました(列王記上18章)
その出来事を知った北イスラエル王国アハブ王の妃イゼベルは「わたしが明日のこの時刻までに、あなたの命をあの預言者たちの一人の命のようにしていなければ、神々が幾重にもわたしを罰してくださるように」(19章2節)というメッセージをエリヤに送り、彼の殺害を宣告したのでした。
このイゼベルはシドン人の王エトバアルの娘(16章31節)つまり現在のレバノン出身の異邦人でしたが、彼女を喜ばせるためアハブ王は「サマリアにさえ、バアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築いた」(同32節)のでした。
このメッセージを受けて預言者エリヤは南ユダ王国を抜けて南端ベエル・シェバから更に荒れ野の中に逃れました。
今日の朗読箇所の冒頭(4節)の原文を直訳すると「彼は行った 荒野の中を 一日の道のりを」となります。また、結び(8節)の原文の直訳は「彼は起きて食べ、行った 食べ物の力の中を 四十日四十夜 神の山ホレブまで」となりますが、下線の部分が対応していることが直ぐに分かりますね。
荒れ野を丸一日彷徨ったエリヤは疲れ果て、自分の命が絶えるのを願って「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください」(4節)という嘆きの言葉を発します。自分たちの神のために大勢の敵と戦って勝ったのに結局、追われる身になってしまったということでしょう。
それに対して主の御使いが二度現れ、エリヤに水と食料を与えて「起きて食べよ」と促します(4、7節)。エリヤは漸く起き上がって水を飲み、食料を食べて神の山ホレブに向かうのでした。
ここで一つ気がつくことがあります。最初にエリヤはベエル・シェバから一日かけて荒れ野の一地点にたどり着き、そこから四十日四十夜かけて神の山ホレブに行ったと聖書には書かれています。このホレブ山を定説に従ってシナイ半島のジェベル・ムーサ山だとすると、いくら道が整備されていなかった当時であっても四十日四十夜もかかるとは考えにくいのです。
四十日四十夜という言葉で思い浮かぶのは「ノアの洪水」で「雨が四十日四十夜降り続いた」(創世記7章12節)ことやモーセがシナイ山に登って「主と共に四十日四十夜、そこにとどまった。彼はパンも食べず、水も飲まなかった」(出エジプト記34章28節)、イエスが四十日間、悪魔の誘惑を受けながら断食を続けた(マタイによる福音書4章1〜2節、ルカによる福音書4章1〜2節)などのことでしょう。
つまり、エリヤが神の山ホレブまで四十日四十夜の旅を続けたというのは実際にそれだけの日数がかかったというよりは象徴的な意味合いがあると考えてよいでしょう。
エリヤが長旅を続けることが出来たのは水と食料が与えられたからですが、その時の御使いの言葉、「これから先は長いのだから今のうちにちゃんと食べておきなさい」という言葉に励まされてのことでした。


