【中心聖句】

わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培するものだ(11節)

 

 

 

今日の旧約聖書朗読は日ごろ余り馴染のないアモス書からです。

 

旧約聖書はユダヤ教では普通タナッハתנ״ךと呼ばれていますが、これは律法Torah(תּוֹרָה)、預言書Neviim(נביאים)諸書Ketviium( כתובים)の頭文字T, N, Kから来ています。

 

今日の朗読箇所であるアモス書は預言書Neviim(נביאים)の内のいわゆる小預言書に属していますが、興味深いのは後でもう一度触れるようにアモス自身は自分のことを預言者とは言っていないことです。

 

アモス書の冒頭にはユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イエスラエルについて示されたアモスの言葉とあります(1章1節)

 

ここに出てくる地震についてはゼカリア書「ユダの王ウジヤの時代に地震を避けて逃れた」(14章5節)と書かれているのみですので正確な年は分からないのですが、アモスの活動時期は紀元前760〜750年ごろと考えられています。

 

当時ヤロブアム二世の統治下にあった北イスラエル王国は領土を拡大し(列王記下14章23〜29節)、恐らく国内政治も安定し繁栄していたであろうことがうかがえます。

 

しかし、そのような繁栄とは裏腹に社会的不正義と道徳的な退廃が進行していました。 「正しい者を金で/貧しい者を靴一足の値で売り...弱い者の頭を地の塵に踏みつけ」(2章6〜7節)というように富裕層が貧者をことさら苦しめていましたし、またベテルなどの聖所でも「祭壇のあるところではどこでも/その傍らに質にとった衣を広げ/科料として取り立てたぶどう酒を/神殿の中で飲んでいる」(2章8節)といった乱れた有り様でした。

 

アモスは激しい口調で北イスラエル王国の現状を弾劾し、やがて滅亡するであろうことを預言しますが、それを見かねた聖所ベテルの祭司アマツヤ北イスラエル王国ヤロブアムに使いを出すと同時にアモスに向かって南ユダ王国に逃れて、そこで預言者として暮らすが良い、ベテル(北王国)では二度と預言をするなと忠告します(7章10〜12節)。

 

これはアマツヤアモスの身を案じての忠告というよりは厄介払いであったと考えられるのアモスが「しばしば聖所とそこで行われる祭儀を攻撃している」(浅野順一・左近義慈他『口語訳旧約聖書略解』p.900)ことから容易に想像が出来ます。彼はエルサレムの南約18kmに在ったとされるテコア出身(1章1節)つまり南ユダ王国出身ですので、何故そいつがわざわざベテルまで来て余計なことを言うのか、ということでしょう。

 

またアマツヤアモス先見者と呼んでいる(12節)ことからも分かります。この先見者は原語ではחֹזֶהですが、これは主として幻によって出来事を予見する者を意味する言葉であり、アマツヤは侮蔑の意を込めてアモスを呼んでいると考えられます(同上)。実際、今日のところは内容に触れませんが、アモス書7章から8章には「主なる神はこのようにわたしに示された」として第一から第四までのが描かれています。

 

そのようなアマツヤの言葉に対してアモス「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培するものだ」(14節)と返答します。つまり「自分は聖所に務めて預言で飯を食っているわけではない。だから、あなた方の指図は受けない。自分の自由にさせてもらう」ということでしょう。

 

彼は続けて「主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行ってわが民イスラエルに預言せよ』と言われた」(15節)といいます。

 

「取る」と訳されている言葉の原語はלָקַחでtakeという意味ですが、ここでは「選び出す」という意味で使われています。それは一介の農夫に過ぎないアモスを預言者として用いようとした神の強い意思の現れとみることが出来ます(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.207)

 

激しい言葉でイスラエルの滅亡を預言し続けたアモスでしたが、最後には「見よ、その日が来れば、と主は言われる...わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する」(9章13〜14節)とし、暗く長いトンネルの先に在るであろう光を預言するのでした。