【中心聖句】
そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という言う意味である(41節)
これまでしばしば指摘して来ましたように、イエスが行った病気治癒の奇跡には次の三要素がありました。
1.病状の描写
2.癒やしの行為
3.治癒の証明
今日の福音朗読箇所に当て嵌めると次のようになるでしょう。
1.病状の描写(21〜24節、35節)
会堂長ヤイロの娘が重篤な状態にあり結局、臨終を迎える。
2.癒やしの行為(36〜41節)
イエスは3人の弟子と共に会堂長の家に行き、少女の手を取って「起きなさい」という。
3.治癒の証明(42〜43節)
少女が起き上がって歩きだしたのを見て、人々が茫然自失となる。
イエスの足元にひれ伏して娘を助けてくれるよう懇願した会堂長ヤイロは家にイエスを連れて戻る途中で娘の訃報に接してしまいます。
その時の会堂長の様子は聖書には書かれていませんが、およそ想像はつきます。それに対しイエスは「恐れることはない。ただ信じなさい」と言ったのでした(36節)。
この「ただ信じなさい」には原文μόνον πίστευεを見ても目的語がありません。つまり、イエスは「何々を信じろ」とは言っていないことになります。
このことについて雨宮慧神父は「希望がなくなったように見えるその『無』の向こう側にイエスの力の源泉である父がいるのです」(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.200)
イエスは死者を「起こす」権能を父なる神から授かっています。イエスが少女に近づく時、「死」は克服され、単に「眠っている」ことになるのです(39節)。
イエスが優しく少女の手を取り「起きなさい」と声をかけた時、少女は起き上がって、歩き出しました(41節)。
イエスはこの癒やしの奇跡について触れ回らないようにと人々に厳しく命じましたδιεστείλατο αὐτοῖς πολλὰ(43節)。このイエスの厳しい沈黙命令は、見える現象の奥深くに息づく神の愛に目を向けるようにという呼びかけです(雨宮慧 同上)