主日の聖書 旧約聖書 創世記3章9〜15節 | 生き続けることば

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新旧約聖書の言葉をご紹介する他、折に触れて宗教関連書、哲学書、その他の人文系書籍、雑誌記事の読後感などを投稿いたします。なお、本ブログ及び管理者は旧統一教会、エホバの証人、モルモン教等とは一切、関係がありません。

【中心聖句】

 

今日の旧約聖書朗読は章の見出しになっている「蛇の誘惑」の後半部分にあたります。

 

今週もいくつかの言葉を考察しましょう。

 

まず、עֵירֹםです。

 

これは英語ですとnaked, unclothed(Holladay "Lexicon" p.272)という字義ですが、雨宮慧神父によれば、この言葉は人間の弱さを表しておりアダムと女(エバ)は神が作った体を弱く恥ずかしい「裸体」と捉え、神の足音を聞いて身を隠したのでした。そして、その時、神と人の間に決定的な断絶が生じました(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』pp.182〜183)

 

次に、呪うאָרַרです。

 

呪いについては申命記27章15節以下および28章15以下に詳しく書かれています。

 

特に大事なのは28章の「もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう」(15節)というモーセの言葉です

 

同じ28章では48節に「あなたは主の差し向けられる敵に仕え、上と渇きに悩まされ、עֵירֹםにされて、すべてに事欠くようになる」という呪いの言葉があります。

 

そして順序は逆になりますが、蛇נָחָשׁです。

 

今日の聖書箇所で面白いのは、アダムはエバに、そしてエバは蛇に裸であることを知ってしまったこと、取って食べるなと命じられていた木の実を食べてしまったことの責任を押し付けようとしますが、蛇自身は全く弁解していないことです。

 

3章1節後半〜4節に書かれている「女(エバ)」と蛇のやり取りを読むと、蛇は女に対して「その木の実をぜひ食べてみろ」と唆したわけでも「お前は裸だ」と告げたわけでもありませんでした。

 

3章1節前半には「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった」と書かれています。この賢いの原語はעָרוּםでするが、英語ではsutble, shrewd, cleverなどの意味があります(Holladay "Lexicon" p.283)。

 

英語の代表的な聖書の一つであるRevised Standard Versionでは

Now the serpent was more subtle than any other wild creature that the Lord God had made、更に伝統的なKing James Version ではNow the serpent was more subtil than any beast of the field which the Lord God had made. となっています。

 

subtleにはclever and indirect disguised in purposeとか highly skillfulとかいう意味があります。

 

また、上記Holladayにעָרוּםの訳として挙げられているshrewdにmarked by clever discerning awareness and hardheadedというポジティブな意味があると同時にgiven to wily and artful ways or dealingなどという意味もあります。

 

ですので、蛇がעָרוּםつまりsubtleあるいはshrewdであったというのは新共同訳のように「賢い」と言っても全面的に良い意味ではなく、ずる賢いというニュアンスがあることになります。

 

つまり、今日の朗読箇所の関連でいえば、蛇は女に対して言質をとられるような言い方はしなかったということになるでしょう。

 

マタイによる福音書にはイエスの弟子たちに対する「蛇のように賢く」(10章16節)という言葉が遺されていますが、この言葉の真意を確かめることも興味深いですね。