【中心聖句】
そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(24節)
今日の福音朗読の前半(12〜14節)に書かれているのは「過越の食事」の準備であり、後半には現在、聖餐式で「招きの言葉」として聞くイエスの言葉が書かれています。
今朝は、この過越πάσχαに焦点を当てて考察しましょう。
今さらかもしれませんが、過越πάσχαとはエジプトにおいて、神は傷の無い1歳の雄小羊を屠って家の入口に塗っておいたイスラエル人の家々は「過ぎ越し」たが、ファラオの初子から捕虜の初子まで尽く打った、という出来事そしてそれがとりも直さずイスラエルの民のエジプトからの解放を意味していました(出エジプト記12章)
雨宮慧神父によると、この故事の原形は新しい遊牧地に移動する前に幕屋の入口に家畜の血を塗りつけることによって命である血の保護を祈り、さらに家族で家畜の肉を食べ、その結束を固めようとした遊牧民の儀式ということです(雨宮慧『小石のひびき 主日福音のキーワード(B年)』p.66)
歴史的にみるといわゆる中央アジアには遊牧民族が多く存在していましたが、それらの中にこの儀式と同じような習慣を持った部族が在ったかどうかは興味深いですね。
また、この過越πάσχαは「過越の小羊」を意味します(12節)。 二サンの月(3,4月)の14日の日没までにエルサレム神殿内で屠られた羊を家に持ち帰り食べるという習慣があったとのことです(同上)。
さらに過越πάσχαは「過越祭の食事」を意味します。その際には上に挙げた屠られた小羊や酵母の入っていないパン、苦菜などを食べます(同上)。この酵母の入っていないパンについてはモーセの民に対する言葉の中で規定されています(出エジプト記13章3〜7節)。
エルサレムのある家の「二階の広間」(15節)でイエスは弟子たちと共に「過越祭の食事」を摂ります。そして、その食事の席でイエスはパンとぶどう酒の説明をしました(22〜24節)。このイエスの言葉を私達は「招きの詞」として聖餐式の始めに聞きます。
パンが裂かれ、ぶどう酒が飲まれることによって、エジプトからの解放によって死から命へと招いた神がイエスの死を通して新しい契約を成し遂げ、救いの業が現実のものとなります(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.125)

