山本七平『精神と世間と虚偽ー混迷の時代に知っておきたい本』(さくら舎、2016年)

 

ずいぶんと大げさな題名の書籍ですが、イザヤ・ベンダサンこと山本七平が今は無き雑誌『諸君!』に連載した書評コラム『山本七平の私の本棚から』を再録したものです。

 

掲載されているのは山本が若い頃に座右の書とし戦地にまで携行したスピノザの『エチカ』を初め、古今東西の宗教書や哲学書、歴史書、現代政治関連書など非常に広範囲に及んでおり、山本の知的関心の広さを窺い知ることが出来ます。

 

ただ、残念なのは本書の副題には「混迷の時代に知って置きたい本」とありますが、実際には現在は入手困難、あるいは極めて高価なものが多く含まれていることです。

 

例えば、冒頭に紹介されているスピノザですが、代表著作である『エチカ(倫理学)』の翻訳や彼の哲学を紹介する書籍は今日でも多数、出版されています。

 

ところが、山本が若い日に出会ったスピノザの『倫理学』英文学者・中村為治(東京商科大学教授)によるラテン語・日本語対訳版で、山本が主宰していた山本書店が復刻したのですが、それをAmazonや古書専門サイトなどで検索すると「現在お取り扱いができません」となっているか、あるいは在っても極めて高価となっており、なかなか手が出せません。

 

次に、『戦艦大和ノ最期』で良く知られている吉田満『平和への巡礼』です。

 

吉田満は海軍から復員した後、日本銀行で監事まで勤め上げたのですが、山本は本書について吉田の「精神的自伝」とも呼ぶべきものであり、「ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思う」と言っています。

 

しかし、大変残念なことにネットで検索しても「在庫切れ」「この本は現在お取り扱いできません」となっており、事実上、現在は入手不可能です。

 

山本によると同書は教会の月報やカトリック新聞などに投稿されたものを収録しキリスト教系の中小出版社から出版されましたものとのことですので、入手出来なくても仕方がないのかもしれません。

 

そして、もう一冊、これは山本が「非常に便利な本で、海外に行く人はぜひ通読して欲しい」と推奨している比屋根(ひやごん)安定『福音と異教地盤』です。

 

比屋根安定と言っても一般には殆ど知られていないと思いますが、1917年に青山学院神学部を卒業後、長く青山学院と東京神学大学で教鞭を取り、宗教学や日本キリスト教史の分野で多くの著書を遺しています。名字から分かる通り、彼自身は東京の生まれですが、先祖は那覇市首里の出身です。

 

同書は比屋根が昭和34年の夏、キリスト教伝道者を対象に行なった日本の伝統的宗教についての講義録ということですが、残念なことに本書もネットで検索する限りでは入手不可能です。

 

他の分野については検証する余裕がありませんでしたが、そこで取り上げられている書籍については恐らく同じような状況のものが殆どでしょう。

 

ただ、そのことで山本に責任を帰するのは酷でしょう。というのも、冒頭にも書きましたように本書は月刊誌『諸君!』『山本七平の私の本棚から』として掲載された書評コラムを再構成したものなのですが、そのコラムが連載されていたのは1982年6月から1985年8月までだったからです。

 

つまり、今から40年も前に山本が読んだ本の書評をまとめたのが本書というわけですから、当時読まれていた書籍が現在、入手困難あるいは古本があっても大変に高い値段がついていたとしても不思議はないわけです。

 

もっとも、親しくしていた図書館司書に「『わたしの本棚から』を毎号読んでるけど、まったく、流行に乗らない本ばかりねえ」と言われたというエピソードを山本自身が紹介している(p.109)くらいですから、当時すでになかなか本屋でも手に入らないような書籍が多く取り上げられていたのも事実のようです。

 

いずれにせよ、本書はいわゆる読書案内というよりは、イザヤ・ベンダサンとして『日本人とユダヤ人』を世に問うて以来、幅広い分野で積極的な執筆活動を続けた山本の思想的遍歴を訪ねる一つの材料にはなると言えるでしょう。