【中心聖句】
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる(20節)
今日の福音朗読では2つの言葉を考察しましょう。
疑う(διστάζω)
ユダを除く11人の弟子はイエスに指示されていた通りガリラヤの山に登り、そこでイエスに出会いましたが、疑う者もいた、と17節に書かれています。
この疑うの原語はδιστάζωです。この言葉は二重を表すδισと 立つことを表すστάσιςが組み合わされた言葉で「取るべき道が分からず、心が二つに分かれた状態」を意味しています。
マタイによる福音書14章には、湖の上を歩くイエスのもとに歩み寄ろうとしたペトロが強風に怖気づいて沈みかけたのに対してイエスが叱りつけたというエピソードが書かれています(25〜33節)。
その中で、31節の「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」とペトロに対する言葉の原文でもδιστάζωが使われています。この時のペトロの心にはイエスの近くにいたいというあこがれと、強い風への恐れが同居していたのでした(雨宮慧『小石のひびき 主日福音のキーワード(A年)』p.60)
命じる(ἐντέλλομαι)
次に、20節で命じておいたと訳されている言葉ですが、その原語はἐντέλλομαιです。これはto commant, to instructなどの意味がありますが(G. Abbott-Smith)、人間の下す命令には余り使われず、神やモーセ、イエスの命令を表しています
(雨宮慧『小石のひびき 主日福音のキーワード(B年)』p.64)
今日の福音でイエスは「疑っている者」にも近づき、すべての民をイエスの弟子にし、父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、命じておいたことを全て守るように教えよ、と命じました(19〜20節)
こうして弟子たちは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」というイエスの言葉に励まされて「世」に散らされていくのでした。


