高橋巌+荒俣宏『神秘学オデッセイ』(平河出版社、1982年12月10日)
本書の帯には「『総合』の神秘学をめざす高橋氏と若き百科全書派荒俣氏」と書かれています。
本書は元慶應義塾大学教授・日本人智学協会代表の故高橋巌氏(今年3月30日逝去)と作家・荒俣宏氏の対談本という形式をとっているのですが、残念ながら対談本としては大変に読みにくい本となっています。
というのも高橋巌氏は第一章ではドイツロマン派と『デミアン』以降のヘルマン・ヘッセが「神秘学」への橋渡しになったことなどがかなり詳しく語っているもののその後はほぼ聞き役に回っておられ、荒俣宏氏が延々と喋り続けているからです。
荒俣宏氏が慶應義塾大学法学部の教養課程で履修したドイツ語原典購読の担当が高橋巌氏(当時文学部助教授)で、その授業で使われていたテキストに触発されて「神智学」に大いに関心を持つようになったといいます。
ですので、荒俣宏氏としてはかつての恩師を前に興奮してしまい思わず自分を抑えることが出来なかったということなのでしょう。
第二章で高橋巌氏はルドルフ・シュタイナーについてかなり詳しく語り、また最終の第三章に入って影響を受けた人々の名前をあげておられます。
その中には澁澤龍彦や種村季弘、片岡啓治、加藤郁乎、横尾龍彦、笠井叡、片山敏彦、林達夫、土方定一といった当時の著名な文化人の名前が出てきます。
しかし、何と言っても興味深いのは鎌倉に閉じこもり在野で数学、西田哲学そして経済学の研究を50年間続けていた「隠れた賢者」の阿部一蔵という人物です。
この阿部一蔵を検索してみますと、明治生命保険会社創立者の阿部泰蔵の孫で京都大学卒・大学院修了、大おばの一人(泰蔵の三女)トミは慶應義塾塾長として有名であった小泉信三の妻、また自身の妻・美代子は公爵西園寺八郎三女という大変な家柄の出であることが分かります。
残念ながらネットでは阿部一蔵の西田哲学や経済学に関する研究成果については詳しいことは分からないのですが、地元・鎌倉の図書館や国立国会図書館などで調べれば何か残っているかもしれません。
他に、影響をうけたということではないでしょうが、高橋巌氏が漫画家・諸星大二郎の作品が大変お好きだったという話には驚かされました。
また、ルドルフ・シュタイナーとの関連では、彼の講演を聞き直接、質問もしてドイツ語で哲学的な書物を書いたルーマニア在住のJunyu Kitamuraという日本人のことを高橋巌氏は短く紹介しておられます。
この人物については編集部の担当者が「この人物についてお心当たりの方は平河出版社までご一報ください」と脚注に書いています。本書が出版されたのは1982年なのですが、ネットでJunyu Kitamuraと検索しても情報がヒットしないので40年以上を経た現在でも正体不明の人物ということになります。
これらの阿部一蔵やJunyu Kitamuraといったいわゆる「在野の」研究者も大変に興味深いですね。
繰り返しになりますが、本書は残念ながら対談本としては成立していません。やはり読者としては影響を受けたこれらの人物についてもっともっと高橋巌氏に語っていただきたかったというのが率直な感想ですし、それを引き出すのが荒俣宏氏や編集担当者の責任だったと思われます。
ただ、本書では脚注や巻末の参考文献一覧、索引が充実している上に随所に「神秘学」に関わる挿絵や年表が盛り込まれています。
ですので、近代から現代に至る「神秘学」あるいは「神秘主義」全般を概観するにはとても有益な書物であると思います。参考文献などを足がかりに一通り「神秘学」を学んだ後で本書を再読すると、より理解が深まるかもしれません。