【中心聖句】

わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。

 

創世記6章の初めには「洪水」という見出しが付けられていますが、6〜9章にはいわゆる「ノアの洪水」が書かれています。

 

「ノアの洪水」が古代メソポタミア文明シュメルの「大洪水伝説」に起源を持つことは一般にもよく知られていますね。

 

『シュメル神話の世界   粘土板に刻まれた最古のロマン』(中公新書1977)には

 

「大洪水」はイスラエル人の祖先が経験したことではなく、シュメル人の経験であり、シュメル人の世界観であって、大洪水を送るのは神々であった。「シュメル神話」では人間は神々の労働を肩代わりするためにつくられたが、その人間が傲慢であったときに大洪水が送られた。

 

と書かれています(p.iii)

 

今日の朗読箇所全体は「肉なるものや地を滅ぼすことになった洪水が二度と起こることはない」と力説していますが、大きく8〜11節と12〜15節の2つに大きく分けられます(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』 p.42)

 

8〜11節には「契約を立てる」という表現が二度出てきます。

 

ここで「立てる」と訳されている原語は קוּםでstand upright,  ariseなどの意味がありますが(Holladay "Lexicon" p.315)、文法的には「起き上がらせる」を意味する動詞の使役形が用いられており、神のイニシアチブ、ゆるぎない効力が強調されているのです(同上)

 

ただ個人的には「契約を立てる」という日本語には違和感を覚えます。契約は結ぶまたは締結するというのが普通だからです。結局これは聖書特有の言い方ということになりのでしょうか。なお、英語聖書では9節は I establish my covenant with you and your descendants after you(RSV)などと訳されています。

 

また、12〜15節に「契約のしるし」として言われているのは虹ですが、この原語は普通は弓を意味する קֶשֶׁתです。

 

実はקֶשֶׁתが虹という意味で使われているのはこの創世記の箇所と旧約聖書エゼキエル書1章28節だけです(同上)

 

そのエゼキエル書1章28節には周囲に光を放つ様は、雨の日の雲に現れる虹のように見えた。これが主の栄光の姿の有り様であったと書かれています。

 

神がノアに言った雲の中に虹が現れるとは、結局、神とノアとの契約の締結によって神の栄光の姿が顕されるということだったのではないでしょうか。