【中心聖句】

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた(14節)

 

今さらながらではありますが、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)のうち、マタイとルカにはイエスの誕生と幼少期が書かれているのに対し、マルコでは洗礼者ヨハネとの出会いからイエスの生涯が描かれています(1章9〜11節)

 

今日の福音朗読箇所を雨宮慧神父に従って読むと(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.150)

 

イエスの動作

1 場所の移動(14節、19節)

2 イエスが観たこと(16節、19節)

3 従うように言った(17節、20節)

 

声をかけられた者の反応

4 よびかけを受け入れる(18節)

5 「従った」(18節、20節)

 

今日の聖書箇所の主題は「弟子の召命」ですが、召命が人間の決断に拠るものだとすれば上記の4と5が中心になります。

 

しかし、人間が生き方を決定的に変え召命に従うものと考えれば2と3が重要です。

 

今日の旧約聖書朗読でも生き方が変わるとすれば、神が何らかの仕方で介入するとき(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.148)ということでした。

 

召命で大事なことは「見られてしまい、呼ばれた」ということであって、網を捨てるとか家族を残してとかはあくまで2次的なことなのです(同p.149)

 

そういえば、大きな社会問題となるようなカルト宗教では「財産を全て捨て(教団に全て献納し)、親兄弟を捨てる」ことを強調するようですね。

 

いずれにせよ、今日の旧約聖書朗読でも見たように弟子の召命にも当事者の人間的な努力や決意以上に神の力の介入が必要だということでしょう。