【中心聖句】

すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

 

今日の福音朗読箇所は共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)三福音書に描かれている、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受ける場面です。

 

水の中から上がるとすぐ天が裂けて(10節)という言葉は特に印象的です。

 

雨宮慧神父はこの天が裂けるについて、現代人はこれを単に詩的な表現と捉えるが、聖書の民にとっては詩的なイマジネーションの産物に終わることなく、物理的な空間としての天以上に確かな「現実」であった、としておられます(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.39)。神の住まいとしての「天」は肉の目とは異なる目で「仰ぎ見る」ものなのでした(同上)

 

天が裂けるとはまた、神の介入など重大な出来事を表す表現として用いられています(雨宮慧『主日の福音ーB年』p.58)

 

あなたの統治を受けられなくなってから

 わたしたちは久しい時を過ごしています。

どうか、天を裂いて降ってください。

御前に山々が揺れ動くように。(イザヤ書63章11節)

 

イエスはあなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者(11節)という天からの言葉を聞きます。

 

この言葉は主の僕の召命と題された第二イザヤでの神の言葉を想起させられます。

 

見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。

わたしが選び、喜び迎える者を。(イザヤ書42章1節)

 

しかし、この主の僕は決して神の名の下にイスラエルの民の上に立ち、彼らに君臨する者ではありませんでした。

 

むしろ彼は多くの苦難を受け、ついには捕えられ裁かれて死ぬような存在だったのです。

 

多くの人の過ちを担い

背いた者のために執り成しをしたのは

この人であった(イザヤ書53章12節)

 

イエスにとって洗礼とは単なる禊ではなく、ましてやこの世的な栄華への道でもなく、多くの苦難の末に十字架へと続く道の出発点だったということでしょう。

 

後にイエスは弟子のヤコブとヨハネに次のように問います。

 

このわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることができるか(マルコによる福音書10章38節)