【中心聖句】
あなたの家、あなたの王国、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。(16節)
今日の旧約聖書朗読箇所は冒頭に「ナタンの預言」という見出しがあるように、ダビデと預言者ナタンが「神の箱」についてやり取りをしたその夜にナタンに臨んだ主の言葉(2〜4節)です。
この背景を理解するにはサムエル記上7〜10章に遡る必要があります。
サムエル記上8章には新共同訳では「民、王を求める」という見出しがつけられています。
これはBCE11世紀末のこととされていますが(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.20)当時イスラエルはペリシテからの脅威に曝され、一時は「神の箱」まで奪い去られるまでに事態は悪化していました。
それに対して預言者サムエルがまだ乳離れしない小羊一匹を取り、焼き尽くす献げ物として主にささげ、イスラエルのため主に助けを求めて叫んだ(サムエル記上7章9節)により、サムエルの時代を通じて、主の手はペリシテ人を抑えていた(同13節)のでした。
そのような状況下でイスラエルの民は「裁きの王」が立てられることを切望します。
サムエルはその要望を悪とみなし、その弊害を列挙までしますが(8章6節、11〜18節)、主はサムエルに対して「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい」(同22節)と告げるのでした。
そもそもイスラエルの伝統的な価値観においては「王として君臨するのは神であって、人間の王ではない」ということがありました(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.21)が、外敵からの脅威に曝される中、サムエルが頭に油を注いでサウルが王となったのでした(10章1節)
これは余談になりますが、現代のユダヤ人社会でも超正統派のユダヤ人はイスラエル共和国を認めていないという説があるようです(手島勲矢『わかるユダヤ学』p.323)。
これは要するに、現ネタニヤフ政権がどうこうとかいう以前に、そもそも人間がイスラエルの地を支配することを良しとしないということでしょう。
さて、今日の朗読箇所に戻ります。
ナタンは主のダビデに対する言葉を受けます。主はナタンを通してダビデに
わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう(8〜9節)
と告げ、最後に上に引用した言葉を遺しました。
こうして、「ダビデ契約」が成立し王朝の永遠性が保証されました(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.21)。
この契約は時代が下って預言者イザヤの支えとなりました。
ダビデの王座とその王国に権威は増し
平和は絶えることがない(イザヤ書9章6節)


