2ヶ月以上前の話になりますが、文芸誌の『オール讀物』2023年8月号(文藝春秋社23年8月1日)「怪しい話・怖い話」を特集していました。

 

特にその中でも目を引いたのは夢枕獏「陰陽師」シリーズ最新作『碧瑶杯』でした。

 

は古代から平安時代にかけて宮廷の陰陽寮に所属し、陰陽五行思想に基づいて占いや天体観測、暦の作成などを行った官僚でした。

 

という言葉が一般にも広く知られるようになったのは2001年に公開された野村萬斎主演で安倍晴明を描いた映画『陰陽師』でしょう。

 

その映画の原作が夢枕獏「陰陽師」だったのです。

 

陰陽道自体は1988年1月公開の映画『帝都物語』(荒俣宏原作、実相寺昭雄監督)にも現れますが、確か安倍晴明は登場しなかったと思います。

 

マンガの世界では岡野玲子の作品が有名ですね。

 

私も『オール讀物』夢枕獏「陰陽師」を掲載しているときは必ずといって良いほど購入していました。 

 

1988年にこのシリーズの第一作「陰陽師」を文藝春秋から刊行とのことですので、今年で35年になりますね。

 

深い闇の広がり魑魅魍魎が跋扈する平安京の夜、濡れ縁に座って「ほろほろと」酒を嗜むのが好きであくまで沈着冷静な安倍晴明と彼の盟友・源博雅の掛け合いを楽しみにしていたものです。

 

夢枕獏の小説や映画を通して安倍晴明が良く知られるようになると、京都の一条戻橋近くにある晴明神社(上京区晴明町)は観光名所になりました。

 

単なる観光名所というより実はいわゆるパワースポットとして多くの人が訪れるようになったのです。この晴明神社ご利益は魔除け、厄除けだとのことです。

 

 

閑話休題(それはさておき)

 

実は今日ご紹介している『碧瑶杯』では安倍晴明や彼の親友である源博雅は表舞台に登場していません。

 

今回の主人公兼家は西京の女性を尋ねた後、徒歩で帰宅しようとするのですが、途中で碧く光る瑠璃の盃のようなものを見つけます。

 

とりあえず家に持って帰ろうとすると、頸の長さが二尺ほどもある猿と、人と同じ背丈の鼠の顔をしたものが現れ、兼家を「宝会」へと誘います。

 

手を引かれるままに兼家が廃寺の本堂に入って行くと、そこには「六つのもの(妖怪)」が輪になって座していました。

 

兼家を迎え入れたこれら「六つのもの」の会話がこの小説の中心となります。

 

私が注目したのは彼らの会話の中に

 

一賜楽業

阿羅訶の子

 

という言葉が出てきており、それぞれにいすらええろはの子というルビが振られています。

 

一賜楽業(いすらえ)がイスラエルを指すことは直ぐにわかりますね。

 

この言葉は景教研究で著名な佐伯好郎博士が用いた言葉のようです。

 

えろはの子はパッと見、見当がつきません。

 

しかし、一番の長老格と思われる「もの」が

 

そこ(一賜楽業)の神である阿羅訶の子が磔刑にあって

 

とか

 

最後になされた晩餐があり、阿羅訶の子が...

 

などと言っていることから、これがイエス・キリストであることが分かります。

 

実際にはこの阿羅訶は仏教用語でブッダを意味する阿羅漢の別名とのことです。

 

とすれば、阿羅訶の子はイエス・キリストではなくブッダの子ということになるのですが、それについてはツッコまないでおきましょう。

 

この「もの」の発言の中には秦氏とか太秦の大秦寺景教などという「日ユ同祖論」ではおなじみのアイテムまで出てきます。

 

景教はともかく秦氏大秦寺については、私自身は日本史・東洋史の専門ではありませんが、改めて考察してみたいと考えています。

 

更に「もの」の言葉が続き、厩戸の皇子つまり聖徳太子が拝んでいたのは実は異国の神であったとか大秦寺の弥勒仏は異国の神のしるしなどという話にまで発展していくのです。

 

実は、この「もの」の発言の中に兼家が見つけた、本編のタイトルになっている『碧瑶杯』の正体が明かされているのですが、ネタバレになるので、それについては敢えて触れないでおきましょう。

 

本編はあくまでいわゆる伝奇小説、フィクションですので、その内容について目くじらを立てる必要は全くありませんが、どうもこの夏以来、色々なところで「日ユ同祖論」にまつわる話題が出てきているのは不思議な現象です。

 

恐らく遅かれ早かれ、「ユダヤ金融資本が世界経済を陰で操っている」という類の「ユダヤ陰謀論」更には「反ユダヤ主義」の文章や書籍が現れるに違いありません。

 

むしろ、そちらのほうが大きな問題ですが、それについてもいずれ考察する予定にしております。