前回、北王国オムリ王朝初代のオムリ王周辺諸国との同盟政策と国内に残るカナン人との融和政策を採ったということをお伝えしました。

 

そのオムリ王を聖書は

 

オムリは主の目に悪とされることを行い、彼以前のだれよりも悪いことを行った(列王記上16章25節)

 

と断罪しています。

 

そして、その理由を

 

彼は、ネバトの子ヤロブアムのすべての道を歩み、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を繰り返し、空しい偶像によって、イスラエルの神、主を怒らせた(同26節)

 

としています。

 

つまり、オムリ王周辺諸国との同盟政策と国内に残るカナン人との融和政策によってイスラエルに偶像崇拝を持ち込んだと避難されているわけです。

 

偶像崇拝について十戒では

 

あなたはいかなる像も作ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない(出エジプト記20章4節)

 

と規定されているのは有名ですね。

 

オムリ王の後継者として彼の周辺諸国との同盟政策と国内に残るカナン人との融和政策を踏襲し更に推し進めたのが息子のアハブ王(在位:BCE872頃〜850頃)でした。

 

彼はシドン(現レバノン共和国サイダ市)の王エトバアルの娘イザベルを妻としました(列王記上16章31節)

 

 

そして嫁を喜ばせるためでしょうか、バアル神を信仰し、あまつさえバアル神を祀る神殿を首都サマリアに建立し、女神アシュラ(またはアシェラ)の像まで造ったと伝えられています(同32節)

 

バアル神

 

 

女神アシュラ(アシェラ)

 

更にオムリ王は同盟政策維持のために娘を本来、敵対関係にあるはずの南王国ヨラム王に嫁がせています。このくだりは日本の戦国時代に数多くあったであろう話と似ていますね。

 

このような行いから彼には

 

オムリの子アハブは彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った(同30節)

 

あるいは

 

アハブのように、主の目に悪とされることに身をゆだねた者はいなかった。彼は、その妻イゼベルに唆されたのである(同21章25節)

 

という大変に厳しい言葉が投げかけられています。

 

なお、イザベル預言者エリヤとの確執については列王記上17章以降に大変エキサイティングな物語が綴られていますが、本稿の主旨から逸れるので詳細は割愛いたします。

 

南(ユダ)王国と北(イスラエル)王国の系譜

(出所:雨宮慧『図解雑学 旧約聖書』)

 

 

参考文献: