今回からは雨宮慧神父の『図解雑学 旧約聖書』に主として従って「ポスト・ソロモン」(ソロモン大王以降)を見てまいりましょう。

 

 

前回ご紹介したようにソロモン大王の死後、後を継いだレハブアム王

 

父がお前たちに重い軛を負わせたのだから、わたしは更にそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから、わたしは蠍で凝らしめる(列王記上12章11節)

 

という言葉をきっかけとして南北王国は分裂することとなったのでした。

 

南(ユダ)王国と北(イスラエル)王国の系譜

(出所:雨宮慧『図解雑学 旧約聖書』)

 

北(イスラエル)王国の王となったヤロブアムは金の子牛像を二体作って人々に

 

あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き登ったあなたの神である(同28節)

 

と言い、一体をベテルに、もう一体をダンにおいたのでした。

 

日ごろ旧約聖書に親しんでいる方なら金の子牛像と聞いてすぐに

出エジプト記に書かれているエピソードを思い出すでしょう。

 

モーセが山からなかなか降りてこないのでアロンは女性たちに金を拠出させて若い雄牛の彫像を作りました。すると人々は「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言い、アロンが作った祭壇の前でどんちゃん騒ぎをしたのでした(32章1節以下)

 

シナイの荒野でのイスラエル人たちを彷彿とされるヤロブアムの行いに対して列王記の記者は「この事は罪の源となった」(列王記上12章29節)という厳しい言葉で断罪しています。

 

ヤロブアムの死後、北王国6代目王となったのはオムリ王(BCE878頃〜869年頃)でした。

 

オムリ王からヨラム王まで4代続いたオムリ王朝の時代、北王国は安定と繁栄を謳歌することが出来ましたが、それはオムリ王が敷いた周辺諸国との同盟政策と国内に残るカナン人との融和政策(雨宮聡『図解雑学 旧約聖書』)という路線に拠るものでした。

 

新約聖書でも良く名前の知られているサマリアにはこのオムリ王が関わっていたことを列王記上が伝えています。

 

彼(オムリ王)は六年間ティルツァで国を治めた後、シェメルからサマリアの山を銀ニカルで買い取り、その山に町を築いた。彼はその築いた町の名を、山の所有者であったシェメルの名にちなんでサマリアと名付けた(16章23〜24節)