「失われた10支族」の伝説の基になっているのが古代イスラエルにおける南北王国です。

 

旧約聖書の列王記上・下によると、ダビデ王の跡を継いだソロモン王の時代は「ソロモンの栄華」と呼ばれ、古代イスラエルのいわば絶頂期でした。

 

前回(7月11日)ご紹介したように

 

ソロモン王の時代は「ソロモンの栄華」と呼ばれ、古代イスラエルのいわば絶頂期

 

だったのです。

 

ソロモン王は:

 

ユーフラテス川からペリシテ人の地方、更にエジプトとの国境に至るまで、すべての国を支配した(列王記上5章1節)

 

ティフサからガザに至るユーフラテス西方の全域とユーフラテス西方の王侯をすべて支配下に置き、国境はどこを見回しても平和であった。(同4節)

 

ということなのでした。

 

 

そして、ソロモン王は、壮大な神殿をエルサレムのモリヤ山に建立したのでした。

 

 

南アラビア(現在のイエメン付近)のシェバ王国からは女王が来訪した(列王記上10章1節以下)という話も有名ですね。

 

 

今回からは雨宮慧神父の『図解雑学 旧約聖書』に主として従って「ポスト・ソロモン」(ソロモン大王以降)を見てまいりましょう。

 

 

ソロモン大王がBCE926年頃に死去すると息子のレハブアムが後継者となりました(列王記上11章43節)

 

北の部族との融和を図ろうとしたレハブアム王に対し北部族はソロモン治世下で課せられた賦役や課税の軽減を求めました。

 

当初、レハブアム王は彼らの要請を受け入れる姿勢も見せましたが、結局は

 

父がお前たちに重い軛を負わせたのだから、わたしは更にそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから、わたしは蠍で凝らしめる(同12章11節)

 

と応えてしまいます。このため北の諸部族はエジプトに亡命していたヤロブアムを王として立てることになりました(同12章2節以下)

 

こうして、南北王国は分裂することとなったのでした。

 

南(ユダ)王国と北(イスラエル)王国の系譜

(出所:雨宮慧『図解雑学 旧約聖書』)