神を礼拝すべき場所なる会堂は、演説場か感傷的な青年男女の相思の情を温むるに適するミュージック・ホールに変質しているではないか。(岩下壮一『カトリックの信仰』筑摩書房)

 

 

 

 

岩下壮一神父「公教要理」の解説として行った講義を収録したものとして本書は昭和5年(1930年)にその初版が発行されました。

 

岩下壮一神父によればその当時、カトリック、プロテスタントを問わず多くの教会は演説会場か青年男女が交際のために集まる場所に化していたのでした。

 

今日は9月の第一主日として全国のカトリック教会、プロテスタント教会で礼拝やミサが行われますが、多くの教会では牧師、神父たちが説教の中で100年前の「関東大震災」をテーマに取り上げるだろうと思います。

 

彼らの説教は聖書の解き明かし、福音のメッセージからかけ離れた主題となっており、そこに無理やり聖句を持ってきたような代物になっているかもしれません。

 

つまり、礼拝堂あるいは聖堂はもはや演説会場となってしまっているといって差し支えないでしょう。

 

また、礼拝の前にギターやドラム、キーボードの伴奏によって、伝統的な讃美歌でも霊歌でもなく、まるでK-POPだかJ-POPだかのミニコンサートのようなことをやっているプロテスタント教会もみられるようです。

 

これなどは岩下壮一神父が言われているように教会が感傷的な青年男女の相思の情を温むるに適するミュージック・ホール となってしまっていることの表れと行って良いでしょう。

 

岩下壮一神父が実に90年前に警鐘を鳴らされた教会の状況は残念ながら今日においても少しも変わっていない、いや変わっていないどころかむしろ悪くなっているということになってしまうのです。