鶴田真由『神社めぐりをしていたらエルサレムに立っていた』(2017年6月10日 幻冬舎)
1ヶ月近く前ですが、7月24日に「有名女優と元総理大臣夫人の意外な接点」という拙文を投稿しました。
それは週刊文春の記事で、女優の鶴田真由さんと安倍晋三元総理大臣夫人の昭恵さんがある人物を通して知り合いであり、鶴田真由さんには本ブログでも興味を持って研究している「日ユ同祖論」に関わる著書がある、という話でした。
「どうせ、いわゆるタレント本だろう」と思って特に気にもせずにいたのですが、先日たまたま地元の図書館で見つけたので手にとった次第です。
さっと目を通しますと、著者が趣味の神社巡りをしている家にに様々な人との出会いがあり、やがてイスラエルまで旅をしてそこで神秘的な体験をするという、一種の自分探しの旅を綴った内容となっています。
この出会った人たちというのが色々と「ユニーク」であり、結果としてこの本は「日ユ同祖論」を基にした「トンデモ本」になってしまっています。
いちいち取り上げるのもバカバカしいのですが、例えば
・諏訪大社の御神体は守屋山だが、これはエルサレムのモリヤ山に通じる
・神社の鳥居はヘブライ語で門を意味するトリイから来ている
・「かごめ、かごめ」のかごめはヘブライ語のカゴルとミに分解でき、それは「何を囲むのか」「何が守られているのか」という意味である。
・「鶴と亀」はヘブライ語のツルとカメアに分解でき、それは「お守りの岩」である。
・沖縄の伊平屋島の「イヘヤ」を逆さに読むと「ヤーヘイ」となり、それはヘブライ語で「神」を意味する
・沖縄の他界概念である「ニライカナイ」はヘブライ語で「耕された畑の島を得て長く住む」という意味である
といった調子で、この種のこじつけが次から次へと紹介されています。
書き写しているだけで頭がクラクラしてきますが、これらは出会った様々な人から教えられたことというのですから、まあ余り著者を責めても仕方がないことでしょう。
本ブログは決して日本の文化や宗教が大陸の影響とは無縁だと考えているわけではありません。
仏教はそもそも大陸から伝来したものですし、またキリスト教の一派であるネストリウス派が中国を通って日本に入っていたとしても別に不思議ではありません。古来の宗教でも特に奄美・沖縄などのものには南洋の島々の影響があるだろうと想像できます。
しかし、それらのことと上に掲げたような日本語とヘブライ語の語呂合わせのレベルとは「日ユ同祖論」は無縁だ、ということです。
著者はイスラエルに導かれていくのですが、予備知識を仕入れるために読んだのが『手塚治虫の旧約聖書物語』『マンガ聖書物語<新約編>』(樋口雅一著)だというのですから、まあ何ともリアクションのしようがありません。
「日ユ同祖論」や「失われた10支族」を語るのなら、旧約聖書の内のせめて「サムエル記上・下」「列王記上・下」「歴代志上・下」くらいはちゃんと読んでおいてもらいたいですね。
巻末には「参考文献」が15冊ほど紹介されていますが、その5分の4はここでご紹介するにも値しない「トンデモ本」の類です。
ということで、夏休みの暇つぶしに「タレント本」でも読んでみようという人にだけはお勧めできる本ということになります。