去る週末、本棚を整理していてたまたま少し古いカトリックの雑誌『聖母の騎士 2011年3月号』(聖母の騎士社)を見つけました。
その中に聖母の騎士修道院の小崎登明修道士が書いた『セルギウス修道士 103歳 愛の生涯』という記事があります。
ポーランド出身のセルギウス・ペシェク修道士は2010年12月16日、聖フランシスコ病院(長崎市)で嚥下性肺炎のため召天しました。103歳でした。
いよいよ息を引き取られる時、病床の傍らにいた小崎修道士は
「セルギウスさん、セルギウスさん」
「日本へ来て、良く頑張ったね、良く頑張ったね」
「コルベ神父のところに行きなさい」
と声をかけ続け、その声は次第に号泣に変わっていた、といいます
昭和6年([1931年)9月、ペシェク修道士はポーランドから来日し、下関から汽車に乗りました。
その際の出来事が、「日本に長く居る理由」の一つだったのです。
長崎に向かったつもりが熊本に着いてしまったペシェク修道士は慌てて汽車を降りる際、財布を置き忘れてしまったのでした。
現金もパスポートも置き忘れ、途方にくれているペシェク修道士に娘さんが汽車の窓から身を乗り出して財布を渡してくれたというのです。
「着いた時の最初の日本人の好意、日本は、いい国です。日本人は、いい人です。強く感じたわけです」
これは小崎修道士が1998年7月、91歳のペシェク修道士に回想を聞いた際の言葉だったとのことです。
そして、回想を録音している際にペシェク修道士は「日本に長く居る理由」の二番目を挙げました。
昭和11年(1936年)5月、ポーランドに帰国するコルベ神父はペシェク修道士の肩に手を置き
目上の命令で帰ります。あなたが死ぬまで日本で働いてください。頼みますよ。
と声を掛け、ペシェク修道士は「ハイ」と答えたのでした。
特高に監視され阿蘇山中に抑留されるなど戦時中は辛酸を嘗めましたが、戦後は大工であった父親から継承した建築のノウハウを活かして全国各地で教会や修道院の建築に働きました。
63歳で長崎に戻ってからは修道院の「ルルド」の係として、清掃や祈りをしながら、参詣に来る人たちに親身となって話しかけ、聖コルベの思い出や愛の真実を伝える日々を過ごしました。
1981年2月、教皇ヨハネ・パウロ二世が長崎を訪問した際には自身ポーランド人である教皇から
ポーランド人にも、こんなに偉い人がいるんだね
との言葉があったそうです。
2001年、94歳で「ルルド」の係を引退、祈り三昧の日々を送った後、98歳の時、聖フランシスコ病院に入院しました。
晩年は静かに眠る日々が続きましたが、小崎修道士がポーランド語で呼びかけると応えがあったそうです。
コルベ神父の時代から戦争前まで38人の修道者がポーランドから長崎に来た、その最後の二人のひとりがセルギウス修道士だったということです。
参考:
『聖母の騎士 2011年3月号』2011年、聖母の騎士社
