昨日の「今朝の聖書」は創世記11章9節でした。
これは新共同訳聖書で「バベルの塔」という見出しがつけられた単元(創世記11章1~9節)の最後からの引用です。
(ピーテル・ブリューゲル 1563年頃)
「バベルの塔」の物語は大変に有名ですので、改めてご紹介するまでもないでしょう。
また、この「バベルの塔」が古代メソポタミア文明に由来することも良く知られていますね。
古代メソポタミア南部の沖積平野においては神聖な場所に土盛りをして神殿を建て、それを神の住処の山としました。
それがジッグラト(聖塔)と呼ばれる構造物です。
ジッグラトは「天に通ずる階段で、頂上の神殿は神々に近づける場所」と考えられていました(小林登志子『シュメル』p.261)
ジッグラトの歴史は紀元前3000年代に遡ることが出来るとされていますが、現存するのはウル第三王朝初代王ウル・ナンム(前2130~前2120年ごろ)によって再建されたものです。
このジッグラトは「エテメン二グル」(「畏怖を齎す基礎の家」)と呼ばれました(同上p.253)
(ウルのジッグラト復元図)
更に時代が下って新バビロニア王国時代、ナボポラッサル王(前658~605年)が着手し、息子ネブカドネザル2世(前605~562年)によってバビロン市中に完成されたのが「エテメンアンキ」(「天と地の基礎の家」)(同上p.261)です。
(前6世紀頃のバビロン)
いわゆる「バビロン捕囚」は南ユダ王国がネブカドネザル2世によって滅ぼされ、主だった人々がバビロンに抑留されたことを指しています。
ですので、バビロンに捕囚された人々が実地にこの「エテメンアンキ」を目にしていたと想像することは容易に可能ですね。
しかし、それだけに留まりません。
創世記11章6節には
彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。
という天から降って来た主の言葉が記されています。
シュメル文明研究家の小林登志子氏によると実は叙事詩『エンメルカルとアラッタ市の領主』(前21世紀頃)に、この創世記の言葉を彷彿とさせる言葉があるというのです。
孫引きになってしまいますが、引用すると
(今は)異なる言葉(を話す)国、スビルとハマジ、高貴なメを持つ大いなる国シュメル、優れた国ウリ(=アッカド)、豊かな草に安らぐ国マルトゥ、(これら)全世界で、調和していた人々はエンリル神に一つの言葉で語りかけた(同上p.253)
私たちが普段、聖書を読むとき、旧約では「出エジプト記」、新約ではヨセフがマリアと生まれたばかりのイエスを連れてエジプトに脱出した記事などから、どうしてもエジプトとの関係に目が行きがちです。
しかし、旧約聖書および新約聖書の「ヨハネの黙示録」を読むと改めて古代メソポタミアとの深い繋がりに改めて思いを致さざるを得ません。
というわけで、本ブログとしては、いずれ項を改めて「ノアの洪水」さらには「エデンの園」と古代メソポタミアの伝承との関係についても考察したいと考えているところです。
参考:
小川英雄『発掘された古代オリエント』リトン、2011
小林登志子『シュメルー人類最古の文明』中公新書、2005
『古代オリエントの神々ー文明の興亡と宗教の起源』
中公新書、2019