主は、不信仰であれとは

だれにも命じたことはなく

罪を犯すことを、許されたこともなかった(20節)

 

今日の旧約聖書朗読は『シラ書』からです。

 

この『シラ書』はBCE190年〜170年の間にエルサレムで著されたと考えられています。

 

その当時、エルサレムにはヘレニズム文化(ギリシャ文化)が浸透し、ユダヤ人の中にもそれに傾倒し、ユダヤ教の伝統から離れる者が現れていました。

 

そうした中、「シラの子イエスス」という人物が

 

ユダヤ教の伝統的な宗教心が衰えることに危機感を持ち(『主日の聖書解説<A年>』

 

この『シラ書』を著したのでした。

 

17節には

 

人間の前には、生と死が置かれている。望んで選んだ道が、彼に与えられる

 

と書かれています。

 

人間の行く手には「死に至る道と命に至る道」(『主日の聖書解説<A年>』が開かれています。

 

そして、人間にはどちらの道を選ぶか、の自由が与えられているというのです。

 

自由は元々、神に与えられたものでした。

 

14節には

 

主が初めに人間を造られたとき

自分で判断する力をお与えになった

 

と書かれています。

 

しかし、その自由とは

 

「なんでもできる」という自由ではなく、「選び」の自由

 

なのです(同上)

 

言い換えれば

 

人間に与えられている自由とは好き勝手に、気ままに生きることではなく、「何に従って生きるか」を選ぶことができる自由

 

ということになります。

 

15節には

 

その意志さえあれば、お前は掟を守り、

しかも快く忠実にそれを行うことができる。

 

と書かれています。

 

神の意思に従って掟(律法)を守るならば、それは決して苦痛ではなく、むしろ快いことであり、自発的にかつ忠実に行うことが出来ます。

 

そして、それこそが「命への道」なのです。

 

以前にも本ブログで書きましたが、プロテスタント教会では一般的に「旧約聖書続編」を読むことはありません。

 

確かに主日礼拝の聖書朗読箇所とするわけにはいきませんが、聖書研究会や祈祷会で学ぶ価値があるのではないかと思います。

 

参考

 

雨宮慧『主日の聖書解説<A年>』教友社

     『図解雑学  旧約聖書』ナツメ社