見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み

その名をインマヌエルと呼ぶ(14節)

 

 

今日の旧約聖書朗読の時代背景にあるのはBCE733年の「シリア・エフライム戦争」と呼ばれる動乱です。

 

再び勢力を盛り返してきたアッシリアに対抗するためにシリア北イスラエル王国(エフライム)は同盟を結びます。

 

シリアエフライムの同盟は南ユダ王国に同盟への参加を求めますが、南ユダ王国がそれを拒んだため、両国はエルサレムを包囲し傀儡政権を作ろうとしたというのです。

 

当時、南ユダ王国の国王は第12代アハズ王でしたが、彼は20代前半の若者でした。

 

この若い王に対して預言者イザヤ

 

落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない(4節)

 

という神の言葉を伝えます。

 

アッシリアに対抗するためにエジプトと同盟を結ぶのは愚策である。かといって、アッシリアとの和解も結局はアッシリアに全てを奪われる結果になるだろう、だから

 

主なるあなたの神に、しるしを求めよ(10節)

 

というのです。

 

しかし、それに対するアハズの答えは

 

わたしは求めない。

主を試すようなことはしない(12節)

 

というものでした。

 

この答えはアハズ王の主なる神に対する従順さ、敬虔な気持ちから発せられたものではありませんでした。

 

彼の中では、神に頼らずともアッシリアにつけば王国は安泰という気持ちが強くあったのでしょう。

 

神はイザヤを通して

 

インマヌエル

 

というしるしを与えました。

 

南ユダ王国そしてアハズ王にとっての真の打開の道は「神はともに」という徴を信頼し、神に全てを委ねることでした。

 

しかし、アハズ王は結局アッシリア側につくこととなりました。

 

それによって南ユダ王国アッシリアの庇護を受けることが出来たかというと

 

アッシリアの王ティグラト・ピレセルはアハズを援助するどころか、攻めて来て、彼を苦しめた(歴代志下28章20節)

 

のでした。

 

大国アッシリアの王にしてみればちっぽけな南ユダ王国の若造など赤子の手をひねるようなものだったに違いありません

 

若いアハズ王

 

主の目にかなう正しいことを行わなかった(同1節)

 

ために結局、滅びの道を歩むことになってしまったのでした。

 

最後に一言。

 

このように旧約聖書ではアハズ王は極悪人であり、滅びは当然の報いとして描かれています。

 

しかし、アハズ王のストーリーを現代の国際情勢に当てはめてみると、南のエジプトと北のアッシリアという超大国に挟まれた弱小国に果たしてどれだけのチョイスがありえたのだろうか、という気がします。

 

 

この状態で果たして南ユダ王国が中立でありえたでしょうか。

 

 

参考

 

雨宮慧『主日の聖書解説<A年>』教友社

     『旧約聖書のこころ』女子パウロ会

     『図解雑学 旧約聖書』ナツメ社