今日の福音朗読は大変に有名な箇所の一つですので、粗筋をおうのではなく、少し細かく見ていくことにしましょう。

 

ここでは、次の4つの動詞に注目します。

 

あざ笑う(35節)

侮辱する(3節)

ののしる(39節)

思い出す(42節)

 

 

まず、あざ笑う(35節)です。

 

この原語はἐκμυκτηρίζω、直訳すると「鼻をそり返す」という意味になります。

 

冷帯に扱うという意味の「鼻であしらう」とか相手を見下してフンッという「鼻で笑う」 などという言葉は私たちも日常良く使います。

 

「鼻をそり返す」というと「鼻の穴を相手に向ける」という子供っぽい嘲りの動作で、少なくとも日本では余り見ない動作ですが、何となくニュアンスは伝わって来ますね。

 

次に、侮辱する(36節)です。

 

原語は ἐμπαίζωですが、これには元々、「子どものように遊ぶ」という意味があり、そこから転じて「からかい遊ぶ」「もて遊ぶ」という意味になったようです。

 

ローマ兵がイエス様をもて遊んでいる様子が目に浮かびますね。

 

ののしる(39節)の原語はβλασφημέωですが、これは単に喧嘩などで相手をののしるという以上に聖なる者、神を冒涜するという意味があります。

 

英語が出来る方ならばすぐに「blasphemyの語源では!?」とピンと来るはずです。

 

このblasphemyには

 

the act of insulting or showing contempt or lack of reverence for God

 

the act of claiming the attributes of a deity

 

irreverence toward something considered sacred or inviolable

 

などの意味があります。

 

とすれば、新共同訳の「ののしる」ではちょっと訳として弱い感じがします。

 

最後に、思い出す(42節)です。この原語は μιμνήσκομαιです。

 

ここでそれこそ思い出したいのは、ある事情でエジプトの牢獄に投獄されていたヤコブが後から投獄されてきた宮廷役人(料理長と給仕長)の夢解きをし、彼らに「復職できたらわたしのことを思い出してください」と頼む場面です(創世記40章8節以下)

 

この場合の「思い出す」は単に「思い出す」だけではなく「思い出して私を牢獄から出してください」という願いが込められていました。

 

詩編106編には

 

主よ、あなたが民を喜び迎えられるとき、

 わたしに御心を留めてください

御救いによってわたしに報いてください(4節)

 

と詠われています。

 

イエスと共に十字架にかけられた囚人が

 

イエスよ、あなたの御国においてになるときには、わたしを思い出してください(42節)

 

と呼びかけると、イエスは

 

はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる(43節)

 

と答えました。

 

主が思い出すとき、救いが訪れるのです。

 

 

参考:


雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社

   『主日の福音ーC年』オリエンス宗教研究所

Merriam-Webster Collegiate Dictionary