忍耐によって、あなたがたは命を勝ち取りなさい(19節)

 

今日の福音朗読は5~6節と18~19節が全体の枠組みを決め、その間に7~11節と12~17節が挟まれた形になっています。

 

先ず7~11節2を見ると、7節では「ある人たち」が、イエスに前節でイエスが

 

一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る

 

といった、その事件は「いつ起き、起きるときにはどんな印があるのか」と尋ねます。

 

それに対するイエスの答えが8節以下です。

 

「徴」として

 

イエスの名を名乗る偽預言者が大勢現れる(8節)

暴動や戦争が起きる(10節)

大地震や飢饉、疫病が頻発する(11節)

 

などをイエスは挙げます。

 

しかし、ここで12節前半の

 

これらのことがすべて起こる前に

 

というイエスの言葉に注意する必要があります。

 

何故なら

 

恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる(11節)

 

前に、

 

人々はあなた方を迫害し、会堂や牢屋に引き渡し、王や総督の前に引きずり出す(12節)

親、兄弟、親族、友人に裏切られ、中には殺される者もいる(16節)

イエスの名の故にすべての人に憎まれる(17節)

 

ような事態が起こるだろうというのです。

 

すぐに来るわけではない世の終わり(9節)の前に、イエスに従う者たちは権力者から迫害どころか親・兄弟からの裏切り行為にさえ遭う「今」があるのです。

 

しかし、イエスは彼らを励まします。

 

どんな反対者でも対抗も反論もできないような言葉と知恵をわたしが授ける(15節)

 

からですし、また

 

髪の毛一本すらもなくなるようなことはない(18節)

 

からです。

 

19節で忍耐と訳された原語 ὑπομονή(ヒュポモネー)はὑπό(ヒュポ;下に、もとに)とμένω(メノー;留まる)の合成語です。

 

ですから、この言葉は

 

この世のもとに留まって世を耐え忍ぶ

 

ということと

 

神のもとに留まる(辛抱強く神を待ち望む)

 

ということを同時に意味しています。

 

忍耐は単に耐え忍ぶのではなく、そこに神を待ち望む希望があるのです。

 

パウロの

 

現在の苦しみは、将来わたしたちに現わされるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います

 

というローマの信徒への手紙8章18節の言葉が想い起こされます。

 

参考:

 

雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社

   『主日の福音ーC年』オリエンス宗教研究所