主はみなしごの願いを無視されず

やもめの訴える苦情を顧みられる(17節)

 

以前にも紹介しましたようにシラ書はBCE190年ごろに書かれました。

 

アレキサンダー大王の死後、イスラエルは

 

プトレマイオス朝(エジプト)

セレコウス朝(シリア)

 

の覇権争いのはざまに置かれ続けました。

 

とりわけセレコウス朝はイスラエルの住民にギリシャ的風習(ヘレニズム)に従うことを強制しました。

 

本書の著者とされる「シラ・エレアザルの子、エルサレムに住むイエスス」は、そのような中にあってイスラエルの伝統的な教えに立ち返ることを強調したのでした。

 

わいろ(14節)

不正ないけにえ(15節)

 

という言葉が使われているのは、とりもなおさず当時のイスラエル社会において、異邦人占領者に取り入るためにこれらの行為が横行していたことを示していると考えられます。

 

しかし

 

神は決してそのことを見過ごしにはしない

 

とシラは訴えるのです。

 

御旨に従って主に仕える人は受け入れられ(20節)

 

る、とシラは言います。

 

この「主に仕える」の原語はθεραπεύω(セラピューオー)です。

 

この言葉が英語のtherapyの語源と関わりがあることは容易に想像がつきますね。

 

つまり

 

「主に仕える人」は「みなしごの願い」や「やもめの苦情」に耳を傾け、彼らを癒す人

 

なのです。

 

しかし、

 

これらの「癒し」は人間のわざによるのではなく、主から来ること

 

なのです。

 

主はみなしごの願いを無視されず

 やもめの訴える苦情を顧みられる(17節)

 

ですから、

 

主に仕える謙虚な人は祈り続ける(20~21節)

 

のです。

 

 

参考:

 

雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社

   『図解雑学 旧約聖書』ナツメ社