わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ(9節)
今日の旧約聖書朗読箇所はなかなか劇的な場面です。
モーセをリーダーとするイスラエルの民がレフィディムという場所に宿営をしている時にアマレクの襲撃を受けます。
このレフィディムについてはシナイ半島南部というのが通説ですが、現在のサウジアラビアの西端部という説もあるようです。
アマレクとは
パレスチナ南端部からシナイ半島東端部を拠点とする遊牧民で、しばしば肥沃な土地に侵入して略奪を行った(『主日の聖書解説<C年>』)
と言われています
但し、この部族については聖書以外に資料は残されておらず、聖書においては常に「イスラエルの敵」とされた存在でした(同上)
今日の朗読箇所に続く箇所では主のモーセに対する言葉として
わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る(14節)
と記されていますし、それを受けたモーセの言葉として
主は代々アマレクと戦われる(16節)
と記されています。
モーセはヨシュアに戦いの指揮を執るように命じます。
そして、モーセ自身は戦場を見下ろせる丘の上に立って両手を広げ「神の杖」を掲げました。
モーセが疲れて手を下ろすと、それまで優勢だったイスラエル軍が劣勢に回ってしまいます。
そこで、アロンとフルの二人がモーセを石に座らせて腕を支えたところ、彼の両手は日が沈むまでしっかりと上がっており、ヨシュアの率いるイスラエルは勝利を収めたというのです。(12~13節)
ユダヤ教研究家の手島佑郎氏はラビ・ナフマ二デス(1194-1270)の
モーセが両手を天に向かって広げると、手の十本の指が天界に充満している神秘的な宇宙エネルギー「セフィロット」と感応して、霊力をイスラエル軍に供給できた(『混迷を超えるプロジェクト 出エジプト記』)
という言葉を紹介しています。
これはまるで40年ほど前にアメリカの北カリフォルニアなどを中心に流行ったニューエージ思想のようですね。
ラビ・ナフマ二デスの思想や中世ヨーロッパでのユダヤ教神秘思想については、日を改めていずれ考察してみたいと思います。
とりあえず今日の単元のテーマは
モーセの手を通して神の力が働いたことを思い起こす(『主日の聖書解説<C年>』
ことだと理解しておきましょう。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『図解雑学 旧約聖書』ナツメ社
手島佑郎氏『混迷を超えるプロジェクト 出エジプト記』ぎょうせい
