主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された(
14節)
イスラエルの民に「十戒」を伝えたモーセは再び山に登り、
四十日四十日山にいました(24章18節)
そして、モーセが神から「幕屋建設の指示」(25章)を初め、細々とした指示を受け中々、山から下りて来ないことに業を煮やしたイスラエルの民はアロンに「我々に先立って進む神々を造ってください(32章1節)と願います。
その願いを受けてアロンは民が身に着けている金の耳輪を集めて若い雄牛の鋳造を造りました(4節)
人々はこの像に捧げ物をした後、像の周りでどんちゃん騒ぎ、乱痴気騒ぎをしたのでした(6節)
ユダヤ教研究科家の手島佑郎氏によると
ラビたちの伝説によれば、完成品が子牛だったのを見て、民はお互いに「ええッ、これがエジプトから先導してくれたイスラエルの神だって⁉」と失望し、こんな物を設計したアロンを嘲笑したという話もある(『出エジプト記ー混迷を超えるプロジェクト』)
とのことです。
それに対して神は激しく憤り
わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている(10節)
とモーセに言います。
牛の像ではカナーンの神バアルと混同される可能性があり、神YHWHはそれを怒ったということです。
今日の朗読箇所の後半(13~14節)には神YHWHの怒りを何とか鎮めようとするモーセの言葉とそれに対する神YHWHの反応が記されています。
ここでのキーワードは14節の最後にある「思い直された」という言葉です。
この「思い直す」の原語はנָחַם(ナーハム)という言葉です。
雨宮慧神父によればこの言葉は受身形では
憐れむ・同情する
慰められる
(復讐をすることによって)心を穏やかにする
(自分の行いを)後悔し、思い直す
などの様々な意味があります(『主日の聖書解説<C年>』。
特に最後の(自分の行いを)後悔し、思い直すは
神が主語となり、神が「後悔し、思い直す」の意味になる
ことが殆どとのことです。
モーセの訴えに応えて
神は決意をひるがえして、民とのかかわりを続行する(同上)
こととなったのでした。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『図解雑学 旧約聖書』ナツメ社
手島佑郎『出エジプト記ー混迷を超えるプロジェクト』
ぎょうせい
: נָחַם
Part of Speech: Verb
Transliteration: nacham

