正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる(14節)
今日の福音朗読は、見出しに「客と招待する者への教訓」とあるように
1. 宴席に招かれる時の教訓(7~11節)
2. 宴席に客を招く時の教訓(12~14節)
まず、1.の「宴席に招かれる時の教訓」ですが、ここでは
宴会に招かれたら末席に座りなさい。そうすれば招待者から「もっと上席に」と言われるかもしれない
というわけです。
これだけ読めば、現代でも通用する処世訓ということになりますし、いちおう納得できる内容です。
ただ、10節にある「面目を施す」という言葉に注目する必要があります。
字面だけ読みますと、
宴席ではまず末席につくと招待者が上席に引き上げてくれるので面目を施す
という、まるでプライドが保たれた、みたいな話になってしまいますが、問題は「面目」という言葉です。
この原語は実はδόξα(ドクサ)なのです。
今日の旧約聖書続編でも触れましたようにδόξα(ドクサ)の意味は栄光や栄誉です。
そうすると、宴席で末席から上席に移されるのは栄誉だ、ということになりますが、ここでは単に世俗的な処世術の話ではなく、「神の国に入るための振る舞い」(『主日の福音-C年』)が教えられていると考えるべきでしょう。
12節以下では「宴席に客を招く時の教訓」として
友人、兄弟、親類、近所の金持ちを呼ぶのではなく(12節)
むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい(13節)
と教えます。
この人たちから何かのお返しを期待することはできません。
しかしイエスは
その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ(14節)
とさえいいます。
お返しを期待できない相手に対して何かをしてあげる、ということは私たちでも日常的に行っていることでしょう。
ですが、それがむしろ「幸いなことだ」と言うのはなかなか理解しにくいことですね。
ですが、
お返しのできない人を招いたとき、わたしたちに報いをあたえてくれるのは神です(『主日の聖書解説<C年>』
ということなのです。
私たちは処世術を用いて他の人々の前で「面目を施す」ことが出来るかもしれません。
しかし、真の「栄光」は終わりの日に神によって与えられるものなのです。
昨日・今日と某民放TV局では歯の浮くようなタイトルで丸1日ぶっ通しの「ちょっといい話」をふんだんに盛り込んだ番組をやっているようです。
しかし、出演者たちはギャラを貰ってチャリティー番組に出て何か「面目を施した」ことになるのでしょうか。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『主日の福音-C年』オリエンス宗教研究所