そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。(30節)
今日の福音朗読は短い単元ですが、次の3つに分けることが出来ます。
1.22~24節
2.25~27節
3.28~30節
まず、22~24節を見ます。
22節には
イエスは...エルサレムに向かって進んでおられた。
とあります。
以前この「主日の聖書」で見ましたようにルカによる福音書9章51節に
イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意をされた
と書かれていました。ここから19章28節までをルカはエルサレムに向かう道中の出来事として筋立てをしたのでした(『主日の福音ーC年』)
このエルサレムへの道中というのは単に都に上るということではありませんでした。それは最初から死地に赴く旅(同上)だったのです。
その道すがら、
主よ、救われる者は少ないのでしょうか(23節)
と尋ねる者がいました。それに対するイエスの答えは
狭い戸口から入るように努めなさい(24節)
というものでした。
この24節の並行記事があの有名な
狭い門から入りなさい
というマタイによる福音書7章13節の言葉であることは直ぐにピンと来ますね。
ここで「努めなさい」と訳されている原語は ἀγωνίζομαι(アゴーニゾマイ)です。
これは競技を意味するἀγών(アゴン)という名詞から派生した動詞です。
つまり、ここで「努める」という言葉は
スポーツ競技者が勝利を得ようと体を鍛えて努力する(『主日の福音ーC年』)
こと、言い換えれば
敵に対する戦いよりは自分自身への戦いを強調する言葉(同上)
ということになります。
次に25~27節では家に入れてくれと頼む者に対して家の主人が冷たく拒むという場面が書かれています。
ここでは、
手遅れになる前にしておくべきことがある。それは悔い改めて悪を離れることである(同上)
ということがポイントになります。
28~30節では
「戸口」の中で行われている宴にあずかる者と締め出された者が対比されます(『主日の聖書解説<C年>』
ということです。
28節に
アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っている
と書かれていて、彼らの子孫であるユダヤ人は「先の人」(30節)であり、真っ先に「宴にあずかる」つまり神の国に入ることが出来るはずです。
しかしイエスは「後の人」つまりユダヤ人以外の異邦人が先に入ることが出来るかもしれないのです。
ここで、「神の国」についてですが、「国」の原語はβασιλεία(バレーシア)という言葉です。
これには王国の他に支配や神の力と言う意味があります。
「神のバレーシア(国)」という時、それはちょうど王国が王の支配する領域を指すように「神の支配が及んでいる領域」(同上)ということになります。
ユダヤ人たちは「自分はアブラハム、イサク、ヤコブの正当な子孫だから当然、神の国に入れるはずだ」と考えています。
しかしイエスは彼らに対して
狭い戸口から入るように努めなさい(24節)
と言います。
神は誰に対しても「戸口」を開いています。それをいかすかどうかは、わたしたちにかかっているのです。(『主日の聖書解説<C年>』)
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『主日の福音ーC年』オリエンス宗教研究所