彼らは来て、わたしの栄光を見る(18節)
今日の朗読はいわゆる第三イザヤの最終章、イザヤ書全体でも締めくくりです。
66章の初めに
栄光の顕現
という見出しがついていることからも分かりますが、ここでは終末が描かれているといってよいでしょう。
ここでは栄光という言葉が繰り返し出てきます。
原語の כָּבוֹד(カボード)は普通、「栄光」と訳されていますが、元々「重さ」という意味があります。
この場合は「重荷」とか「重圧」という意味での「重さ」ではなく、
「栄光 כָּבוֹד(カボード)」とは、出来事を通して示される神の「重みכָּבוֹד(カボード)」(『主日の聖書解説<C年>』)
ということでしょう。
「彼らの中から生き残った者」は諸国に遣わされて行きます(19節)
彼らには「しるし」が与えられますが、彼らを受け入れる諸国の民にとっては彼ら自身が神の「栄光」を現す「しるし」となります。
神の栄光のしるしを見た諸国の民はエルサレムに集められますが、彼らの中から「祭司とレビ人」が立てられるのです。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『図解雑学 旧約聖書』ナツメ社