むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい(20節)
ルカによる福音書9章1~6節は12人の弟子が派遣されたという記事でした。
今日の福音朗読では72人の弟子が派遣されます。
72は12の倍数ですから縁起の良い数字ですね。
主は...二人ずつ先に遣わされた(1節)
これはもちろん1人では道中なにかと不安なので、2人でお互いに助け合うようにということでしょう。
しかし、2人という人数には特別の意味も読めます。
旧約聖書の申命記19章15節には
いかなる犯罪であれ、およそ人の犯す罪について一人の証人によって立証されることはない。二人ないし三人の証人の証言によって、その事は立証されねばならない
という掟が書かれています。
これに基づいて考えると、イエスの言葉についての弟子たちの証言が当時のユダヤ社会に受け入れられるためには弟子1人ではなく少なくとも2人が必要であった、ということになります。
さて、今日の福音朗読ですが、次の3つに大別することができます。
1. 72人の指名(1節)
2. 派遣のための細かい指示(2~12節)
3. 弟子たちの帰着(17~20節)
更に「2. 派遣のための細かい指示」については
使命をより完全に果たすための心がけ
1. 収穫のために働き手を祈り求めよ(2節)
2. 財布も袋も履き物も持って行くな(4節)
3. 途中でだれにもあいさつをするな(4節)
4. その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また
飲むようにせよ(7節)
5. 家から家へと渡り歩くな(7節)
6. 出される物を食べよ(8節)
かなり具体的な指示ですが、2.については訪れる先々で施しがあるはずだ、ということでしょうし、3.は使命の緊急性を考えれば世間的な付き合いなどしている暇はあるまい、ということなのでしょう。
果たすべき使命
1 「この家に平和があるように」と言え(5節)
2. その町の病人を癒せ(9節)
3. 「神の国はあなたがたに近づいた」と言え(9節)
4. 「神の国が近づいたことを知れ」と言え(11節)
果たすべき4つの使命の内3つが「言え」であることから、弟子たちの主な使命は「行うこと」ではなく「言葉で伝える」ことであるのは明らかですね。
注目したい言葉は「この家に平和があるように」の「平和」です。
原語のギリシャ語では εἰρήνηですが、ヘブライ語ではשָׁלוֹם(シャローム)です。
このשָׁלוֹםの意味は
completeness, soundness, welfare, peace(Strong's Hebrew Dictionary)
などです。
つまり、שָׁלוֹםには「平和」だけではなく、「完全」「健全性」「福祉」「幸福」などの意味があるわけです。
現代ヘブライ語では英語のHello!にあたる日常的あいさつとして使われていますが、実際には色々な意味があるわけですね。
ここでイエスが「この家に平和があるよう」と言ったのは、要するに「この家には」
神が惜しみなく与え、隅々にまで行き渡らせる救いのいのち(『主日の福音-c年』
があるように、と言っているわけです。
「神の国はあなたがたに近づいた」という言葉では特に「あなたがた」と特定されていることに注目しましょう。
並行記事であるマタイによる福音書10章7節には
行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい
と書かれています。
つまり、
ルカが「あなたがた」と述べることによって、マタイがただ神の国の時間的接近を語るのに比べ、神の国が到来する相手先に強調点を移している(『主日の聖書解説<C年>』
ということです。
「ほかならぬあなた方のところに神の国は近づいているのだ」
という宣言ですね。
また「神の国が近づいたことを知れ」と弟子たちが人々に告げ知らせる、それはとりもなおさす
神のもたらす平和そのものであるイエス(『主日の福音-C年』
が弟子たちの後に続いていることを告げ知らせているのです
洗礼者ヨハネの
わたしの後からくる方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない(マタイによる福音書3章11節)
という言葉が改めて想起されます。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『主日の福音-C年』
James Strong "Strong's Hebrew Dictionary of the Bible"
Lightning Source Ltd