今日の旧約聖書朗読である14章には
王たちの戦い
という見出しが付けられています。
そして、1節から14節には様々な国名と王の名前が出てきます。
その中にはソドムとゴモラという良く知られた名前もありますが、「塩の海」(=死海)周辺の5つの国が同盟を結んで、ペルシャ南西部に位置したエラムとその同盟国に対して反旗を翻したのでした。
ここでは一応、国という言い方をしましたが、実際に存在していたとしても死海周辺の「都市国家」とも呼べない集落だったのではないかと思います。
そして、「王」とは要するに集落の長だったのでしょう。
それに対して、エラムはイランの南西部を中心とする王国で、死海周辺の「国」からすれば超大国だったことになります。
ソドムとゴモラは侵略され、ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトはエラムに財産もろとも連れ去られます(11~12節)
しかし、アブラムは彼らの後を追い、打ち破ってロトや彼の財産などを取り返して「王の谷」に凱旋します。(16節)
集落に毛の生えたような小国が超大国を打ち破ったというのは不可能ではないですが、なかなか考えにくいことではなります。
閑話休題(それはともかく)
以上が17節までのあらすじですが、そこでアブラムにパンとぶどう酒を携えて祝福に訪れたのがサレムのメルキゼデク王でした。
このメルキゼデクというのは「義の王」という意味であり、詩編110編4節にも
あなたはとしえの祭司
メルキゼデク(わたしの正しい王)
と詠われています。
また、サレムとは恐らくエルサレムのことであろうと言われています。
ただ、雨宮慧神父は今日の朗読箇所の18~20節は後から挿入されたものと考えておられます。
その根拠として
1. メルキゼデクは上記の戦いには関与しておらず、文脈
上は登場する理由がない。
2. 祭司王でもあるメルキゼデクにアブラムが戦利品の
十分の一を贈ったとあるが、「戦利品から」というのは
奇妙である。
3.「天地の造り主」(19節)という称号は「王国時代」の
もので「族長時代」には考えられない
の3つを挙げておられます。(『主日の聖書解説』)
なお、
「王国時代」: サウル王(BCE1000年頃)からユダ王国滅亡(BCE586年)まで、
「族長時代」: アブラハム・イサク・ヤコブからモーセの時代で諸説ありますが、いちおうBCE1850年頃から1320年頃まで
を各々、指しています。
ここで「いちおう」としたのは、この件については今は深く立ち入りませんが、アブラハム・イサク・ヤコブなる人物がが実在したかどうか、「出エジプト」が実際に起こった出来事なのか、については議論があるからです。
19~20節には、メルキゼデクの祝福の言葉として
アブラハムは祝福されますように
...
いと高き神がたたえられますように
と記されています。
この「祝福する」および「たたえる」の原語は בָרַךְ(バーラフ)です。
このבָרַךְ(バーラフ)はもともと「跪く」を意味していますが、そこから「祝福する」「(神の名を)称える」などの意味が派生したのです。
教会の暦の上で今日は「キリストの聖体の主日」です。
そのことと今日の旧約聖書朗読箇所がストレートには結び付かないように思えます。
ですが、アブラムを「いと高き神」が祝福するように、「いと高き神」の名が称えられますように、という礼拝の在り方が教えられているということでしょう。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『図解雑学 旧約聖書』ナツメ社

