真理の霊が来ると、あなたがたを導いて審理をことごとく悟らせる(13節)
13章から始まったイエスのいわゆる「告別説教」はいよいよクライマックスに近づいています。
16章ではイエスが送ると約束した聖霊の役割が明らかにされます(『主日の聖書解説<C年>』
今日の福音朗読はごく短い箇所ですが、原文を動詞の時制という文法的な特徴からみると
12、15節: 現在形およびアオリスト形
13~14節: 未来形
アオリストというのは、英文法などでは日ごろなじみのない言葉かもしれませんが、
ある事実が過去において一応、片付いてしまったものとして言い表す時称で...瞬間的、列挙的であるともいえる(『ギリシャ語入門』)
ということです。
さらに、13~14節については
主語は「真理の聖霊」であり、今日の福音は「真理の聖霊」が弟子たちに真理を告げ真理へと導くであろう将来の日々を述べ(『主日の福音-C年』)
ているのです。
また、15節は現在形ですが、これについては
どの時代にも当てはまる普遍的真理を述べる現在形(同上)
ということになります。
次に、今日の単元における2つの言葉についてみておきましょう。
まず、12節の
あなたがたには理解できない
にある「理解する」という言葉です。
この原語は βαστάζω(バスタゾー)です。それには
耐える、辛抱する、我慢する
などの意味があり、原文を普通に訳せば「今、あなたがたには耐えられない」となるはずです。
現に、代表的な英語聖書であるRevised Standard Versionでは
but you cannot bear them now
となっています。
日本語聖書でも、古くは文語訳で
今なんぢら得耐えず
となっている他、口語訳でも
あなたがたは今はそれに堪えられない。
とされています。
新約聖書学者・田川建三氏によると
この動詞にはそんな意味(=理解できない:本ブログ)はないし、わたしの知る限り(中略)そのように訳している例はない(『新約聖書 訳と註5 ヨハネ福音書』
とのことです。
とすれば、新共同訳の場合は、その箇所を担当した翻訳家 の意訳(誤訳、とまではいいませんが)ということになります。
この点について雨宮神父は
「聞いて理解することに耐えられない」の意味であれば、弟子たちはイエスの言葉を理解する力を欠いているということになります(『主日の聖書解説<C年>』)
とし、「理解できない」と訳し得る可能性も述べておられますが、さすがに少し無理がありますね。
そもそも「聞いて理解することに耐えられない」という表現自体がそれこそ理解できません。
やはり、ここは雨宮神父ご自身も言っておられるように
イエスの言葉がやがて引き起こすことになる迫害に耐えられない(同上)
という意味にとるべきでしょう。
実は、2018年12月に刊行された日本聖書協会共同訳では
あなたがたは今はそれに堪えられない。
と、口語訳・文語訳の訳語に戻っているのです。
新共同訳が何故あのように訳したのか、また協会訳では何故、以前の訳に戻したのか、については協会訳に基づいた註解書の中でぜひ明らかにしていただきたいものです。
だいぶ長くなってしまいましたので、最後にもう一つだけ。
13~15節では「告げる」という言葉が3度繰り返されています。
この原語はἀναγγέλλωであり、
知らせる、報告する、伝える、告げる(『ギリシャ語新約聖書釈義辞典I』)
という意味ですが、雨宮神父によれば
この語は「ある場所から戻って報告する」を意味しますから、聖霊はイエスの言葉を携えて天から戻り、それを弟子たちに告げて理解へと導くことになる(『主日の聖書解説<C年』
ということです。
御父と御子と聖霊は、この世の弟子に真理を悟らせるために、一体となって働く
のです(同上)
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『主日の福音-C年』オリエンス宗教研究所
田川建三『新約聖書 訳と註5 ヨハネ福音書』作品社
田中美知太郎・松平千秋『ギリシャ語入門 改訂版』岩波書店
荒井献・H.J.マルクス監修『ギリシャ語 新約聖書釈義辞典
I』教文館