読み続けている使徒言行録ですが、今日の朗読では

 

病人や汚れた霊に悩まされた人々を一人残らず癒した使徒たち(16節)を大祭司やサドカイ派が妬んで最高法院に引き立て尋問した(17~28節)

 

という場面です。

 

それに対するペトロを初めとする使徒たちの答えは、雨宮慧神父によれば、原文を直訳すると

 

我らの先祖の神は復活させた

あなたがたが木につけて殺したイエスを

この方を神は導き手と救い主として神の右に上げた

イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために(『主日の聖書解説<C年>』)

 

というものでした。

 

あいにく新共同訳や協会訳ではイマイチはっきりしないのですが、この原文の直訳から使徒たちが証人として伝えたかったことは先祖の神がイエスを

 

復活させた

自分の右に上げた

 

の2つであったことは明らかです。

 

弟子たちは、

 

わたしたちはこの事実の証人であり...聖霊もこのことを証ししておられます(33節)

 

と答えました。

 

この返答は大祭司やサドカイ派の怒りを更に燃え上がらせませした。

 

「イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるため」に神がイエスを復活させ、自分の右に上げた、などとんでもない。

 

しかも、その神とは「イスラエルの先祖の神」と主張するのですから、これは神に対する冒涜に他ならない、と彼らは受け取ったのでした。

 

ユダヤ社会の指導者の立場からすればそのように受け取り怒りを露にするのも当然ということでしょう。

 

今日の単元では神の働きに対する無理解な者たちの代表者として古代ユダヤ社会の祭司長とサドカイ派が引き合いにだされています。

 

しかし、これは現代の一般社会にも通ずることでしょう。

 

それに対して

 

キリスト者が「従う」神とは、出エジプトを行った先祖の神であって、しかも十字架に死んだイエスを復活させて、神の右に上げ、悔い改めと罪の赦しとを与えている神のことなのです。(『主日の聖書解説<C年>』

 

 

参考:

 

雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社