また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています(43節)
いつもですと、「主日の聖書」では旧約聖書と福音書の朗読ですが、今日は「イースター」ということで旧約聖書の代わりに使徒言行録を読みます。
来週以降も「ペンテコステ(聖霊降臨の主日)」まで「主日の聖書」では「使徒言行録」と福音書を学ぶことにいたします。
「使徒言行録」においては使徒の中でも前半はペトロ、後半はパウロについて主に書かれています。
ここで「あれっ?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。
ペトロは確かにイエスが宣教活動を始めた当初から行動を共にしたいわば兄弟子の中でも筆頭格です(ルカによる福音書5章3節以下など)
ところが、パウロは生前のイエスと寝起きを共にした弟子(使徒)ではありませんでした。
それどころか若いころにはサウロという名前であったパウロは熱心なユダヤ教徒でクリスチャンを迫害する側だったのです(使徒言行録7章58節以下、同9章1節以下など)
パウロについてはいずれ『ローマの信徒への手紙』や『コリントの信徒への手紙一、二』などで改めて詳しく学びたいと考えています。
閑話休題(それはともかく)
雨宮慧神父によれば今日の朗読箇所は「カイサリア在住の異邦人で百人隊長コルネリウスの家でペトロが行った説教」であり、以下のように分かれています。
a. 34~35節 神は人を分け隔てしない
b. 36~38節 十字架以前のイエス
c. 39a節 わたしたちは証人
b’ 39b~42節 十字架以後のイエス
a’ 43節 誰でも罪の赦しを受けられる
この中で特にb→c→b’がいわゆる「初代教会」で「宣教の使信(専門用語でケリュグマ)」とされた部分です。(『主日の聖書解説<C年>』)
iここで
「わたしたちは証人」
とされる、その証言の内容は
神がイエスを通して(あるいはイエスが神によって行なった)出来事、特に木にかけられたイエスを神が復活させたという出来事
なのです(同上)
ここで、旧約聖書に日ごろから親しんでいる方なら
木にかけられた
という言葉でピン!と来るはずです。
旧約聖書の申命記には次のように書かれています。
ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない(21章22節)
イエスの十字架上の死そしてアリマタヤのヨハネがイエスの遺体を引き取って埋葬した、というエピソード(ルカによる福音書23章50~54節)を思い出せば、この申命記の言葉が実現したことが分かりますね。
上記のように、今日の単元は
a. 34~35節 神は人を分け隔てしない
a’ 43節 誰でも罪の赦しを受けられる
に挟まれた形になっています。
木にかけられたイエスを神が復活させたと出来事にこそ全人類に開かれている救いの根拠があるのです (『主日の聖書解説<C年>』)
参考:
雨宮慧『主日の福音解説<C年>』教友社