その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。あなたの子孫にこの土地を与える。(18節)
今日の旧約聖書朗読箇所はとても重要な場面の一つです。
なぜならここでは「旧約」「新約」の「約」つまり契約について書かれているからです。
今日の単元で特に印象深いのは17~18節ですが、そこに行く前にいくつかのポイントを見ていきましょう。
まず、この単元に登場するのはアブラハムです。
今日の箇所では彼はアブラムと呼ばれていますが、のちに神によって私たちが日ごろ親しんでいるアブラハムと命名されます(創世記17章5節)
次に、9節に神の命令が書かれています。
三歳の雌牛と三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と...わたしのもとにもって来なさい
日ごろから新約・旧約を問わず、聖書に数字が出てくる場合は一応、その数字の意味に注目する必要があると思います。
ここで殊更「三歳」としているのには何か意味があると思いますが、残念ながら聖書の本文からははっきり分かりません。
レビ記などで見る動物の献げ物には三歳という規定等はないようです。
13~16節では「出エジプト」の出来事が預言されていることは容易に想像が出来ますね。
ここで、手島佑郎氏は16節の
それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。
という一節に注目されています。
アモリ人とはBCE3000年ごろにメソポタミアに定住、その後に第一バビロン王朝を築いています。
その王朝で有名なのが法典で知られるハムラビ王です。王朝が滅びた後もメソポタミア西部では有力部族の一つであったらしく、ここではカナン地方を支配する部族の一つということです。
この一節がなぜ興味深いかというと、手島氏によれば
神だから、悪の小さいうちに摘み取るのかというと、そうではなくて、悪がとことん大きくなるまでは神は手をくださない(『ユダヤ発想の原点 創世記上』)
からです。
日本の敬虔なクリスチャンですと、
どんな小さな悪であろうとも神様が見逃すはずがない。
と思ってしまいますが、旧約聖書では必ずしもそうではないようです。
さて、今日の単元のクライマックスである17~18節を見ましょう。
アブラムは言われたとおり、鳥以外の動物たちを
二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせておいた
のです。
18節には
主はアブラムと契約を結んで
と書かれています。
この「結んで」の原語カラットには
to cut off, cut down
という意味もあるのです。
手島佑郎氏によれば
真っ二つに割いた、その真ん中を契約の当事者たちが通って行き、その血をお互いに塗りあうのが古代の儀式であった(『ユダヤ発想の原点創世記上』)
ということです。
手島氏はこれ以上の説明をしておられないのですが、それが古代イスラエルでの風習であったのかあるいは古代エジプトや古代メソポタミアで広く行われていたのかについては改めて調べてみたいと思っています。
この動物を二つに割くという所作には
万が一、契約を一方的に破った場合にはそちらもこの動物のように真っ二つにされるぞ
という警告の意味が込められていることは容易に想像がつきますね。
さて、17節には
突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに割かれた動物の間を通りすぎた
と書かれています。
この「煙を吐く炉と燃える松明」とは神を指す表現に他なりません。
ところが、ここに不思議なことがあります。
契約締結の儀式における所作として確かに神は「二つに割かれた動物の間を通りましたが、契約のもう一方の当事者であるはずのアブラムも続いた、とは書かれていません。
その間、アブラムは何をしていたかというと、
アブラムは深い眠りに襲われ(12節)
寝ていたのです!
神はアブラムに
あなたの子孫にこの土地を与える(18節)
と約束します。
しかし、聖書にはそれに対してアブラムにどのような対価が求められているか、は書かれていません。
つまり、この「契約」は神がアブラムに対して為すべきことだけが定められた一方的な契約つまり「片務契約」だったわけです。
ちょっと考えると当事者の一方だけが履行義務を負う契約というのはおかしいような気がしますが、日本の法律でも贈与や使用貸借などの場合は片務契約ということになるようです。
この18節について最後にもう一度、確認しておきましょう。
確かに神は土地を与えることをアブラムに約束しますが、その土地を手にするのはアブラムではなく、彼から遥かに時代が下り、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民です。
しかも、リーダーであるモーセ自身は「約束の地」に足を踏み入れることなく、この世を去ったのでした。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『図説雑学 旧約聖書』ナツメ社
『旧約聖書のこころ』女子パウロ会
手島佑郎『ユダヤ発想の原点 創世記上』ぎょうせい