主はおのおのに、その正しい行いと忠実さに従って報いてくださいます(23節)
今日の旧約聖書朗読箇所のテーマはダビデとサウルの確執です。
ダビデとサウルの関係は極めてドラマチックでした。
サムエル記上16章の最後には次のように書かれています。
神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。(23節)
今でいえば、ストレスから酷い不眠症に陥ったサウルがダビデの音楽療法で癒された、ということですね。
ただ、面白いのは次の17章には、少年ダビデがペリシテ人ゴリアテを倒した有名なエピソードの最後に
サウルは、ダビデがあのペリシテ人に立ち向かうのを見て、軍の司令官アブネルに聞いた。「アブネル、あの少年は誰の息子か」(55節)
とあります。
この箇所に拠れば、サウルは側近に名前を聞くまでダビデのことを知らなかったということになります。
ですから、は元々、異なったソースの伝承2つを後から編集の段階で採用したということになるわけですが、それについて今日のところはこれ以上、立ち入らないことにします。
いずれにせよ、ダビデはサウルの部下となったのですが、ある時期からサウルの心にはダビデに対する敵意が芽生えます。
ダビデは、サウルが派遣する度に出陣して勝利を収めた(18章5節)
と書かれているように、ダビデは大変に有能な戦士で連戦連勝でした。
人気がうなぎ上りとなったダビデに対してサウルには嫉妬、さらにはいずれ王としての自分の地位が脅かされるのではという猜疑心が生まれたわけです。
このあたりのいきさつは、大河ドラマではないですが、源頼朝と源義経の関係を彷彿とさせます。
源平はもちろん、戦国時代にはあちこちで似たようなことがあっただろうと想像できますね。
サウルのダビデに対する敵意が決定的になったのは、娘のミカルがダビデを愛していることを思い知らされた(28節)でした。
、「あんな男に娘をやるものか!」という父親の心境として理解出来なくはないですね。
こうしてサウルが息子ヨナタンと家臣にダビデを殺すよう命じた(19章1節)ため、ダビデは逃亡生活を送ることになりました。
そして、今日の朗読箇所26章ではダビデがサウルの陣地に忍び込み、彼と対峙する場面が描かれています。
ダビデにとってはサウルを返り討ちにする絶好のチャンスとなったわけです。
しかし、 ダビデは
主が油を注がれた方に手をかけることを望みませんでした(23節)
とサウルに言います。
絶好のチャンスであったにも関わらず、ダビデが彼をずっとつけ狙った敵を赦すことが出来たのは人間の力ではなく、主の力が働いたからでした。
逆に言えば、神の力なくしては自分を付け狙い続けていた敵を赦すことは出来ない、ということかもしれません。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『図説雑学 旧約聖書』ナツメ社