恐れることはない。 今から後、あなたは人間をとる漁師になる。(10節)

 

今日の福音朗読箇所も先週と同様、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)が書き記いしています。

 

3福音書とも

 

人間を取る漁師にしよう

 

というイエスの有名な言葉を書き記しています。

 

ただ、マタイマルコがごく簡潔にシモンたちがイエスの弟子になった事実を記録しているのに対し、ルカはそれらよりかなり長くこのエピソードを紹介しています。

 

この点も先週と同様です。

 

つまり、ルカにとってはこのエピソードが特別の意味を持っていた、ということが考えられます。

 

今日の箇所は大きく

 

1~3節  イエスの言葉を聞く群衆

4~11節  イエスの言葉に従うシモン

 

と、2つに分けられます。

 

こう並べてみると、両方とも同じ「言葉」という単語が中心になっていることが分かります。

 

ところが、原文を読むと、それぞれ別の単語が使われていることが確認できるのです。

 

まず、1節には

 

神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。

 

と書かれていますが、この場合の「言葉」は原文ではロゴスです。

 

それに対して、5節の

 

しかし、お言葉ですから

 

の「言葉」は原文ではレーマです。

 

このレーマには「言葉」の他に「いうこと」「話」「事」などの意味があります。

 

実は、イエスの誕生物語で羊飼いたちが

 

主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか(ルカ1章15節)

 

と言い交した、「その出来事」が原文ではレーマなのです。

 

雨宮神父はこのレーマ

 

出来事に具体化する言葉(『主日の福音-C年』)

 

と表現しておられます。

 

今日の箇所ではイエスの

 

網を降ろし、漁をしなさい(4節)

 

という言葉に従ってシモン・ペトロが網を降ろしてみると二艘の船が沈みそうになるほどの(7節)大漁になったのですから、イエスの言葉は「出来事に具体化する言葉」だったわけです。

 

そして、シモンはこのことに驚き、

 

イエスの足元にひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った(8節)

 

と記されています。

 

雨宮神父は、このシモン・ペトロの行動について

 

自分を「罪深い」と思わせる直感させるほどの神々しさを目撃した者の叫び(『主日の福音-C年』)

 

が思わず口から迸り出たものと解説されています。

 

ただ、このシモン・ペトロの行動は聊か唐突にも思えます。

 

シモン・ペトロは福音書中の色々な場面に登場しますが、良く言えば直情径行、悪く言えばちょっとおっちょこちょいで先走りな人物だったようです。

 

前島誠氏の表現を借りれば

 

お調子者で、頭に浮かんだことをすぐ口に出す(『ナザレ派のイエス』)

 

ような何とも憎めない男です。

 

もしかすると、彼の周りにいた仲間の漁師たちは

 

シモンのやつ、また始まったよ。

 

と、ニヤニヤしながらその様子を見ていたかもしれません。

 

いずれにせよ、この「出来事」をきっかけにシモン・ペトロはヤコブ、ヨハネと共に三人の側近の一人となり、後にはヤコブと共にエルサレムにおける中心的な存在となって行ったのでした(『ナザレ派のイエス』)

 

参考:

 

雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社

    『主日の福音-C年』オリエンス宗教研究所

前島誠『ナザレ派のイエス』春秋社