この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した(21節)
ガリラヤ地方を巡回していたイエスはナザレに入りました。
そして、地元の会堂での安息日の集会に参加し、聖書の朗読をしました。
イエスが朗読したのはイザヤ書61章の1節から2節にかけてでした。
ここで注目したいのは
捕らわれている人には解放を(18節)
とある「解放」という言葉です。
実はイエスは元々のイザヤ書1~2節の間にイザヤ書58章6節の
圧迫されている人を自由にし
という言葉をはさんで朗読をしています。
この「解放」と「自由」の2つはギリシャ語の原語ではアフェシスという同じ言葉なのです。
アフェシスは動詞形にすると
「投げ飛ばす」「投げ捨てる」「解き放つ」「去らせる」「離れる」「「構わないでおく「」「なすがまままに任せる」「認める」「赦す」
など、様々な意味を持っています。
イエスはわざわざ聖書朗読に別の聖書箇所をはさんでまでこのアフェシスを強調したかったということでしょう。
それは
主の恵みの年を告げるためである。
という19節(イザヤ6章2節)にも関連してきます。
「主の恵みの年」と言われても日ごろ旧約聖書そしてユダヤ教の基本的な教えに親しんでいないとすぐにはピンと来ませんね。
旧約聖書レビ記では
七年目には全き安息を土地にあたえなければならない(25章4節)
として、7年ごとに「安息の年」を定め、更に
安息の年を七回、すなわち七年を七度数え(8節)
た上で、
五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である(10節)
としています。
ここでも解放という言葉が使われていることに注目しましょう。
イエスは聖書朗読を終えると会堂の人々を見まわし
この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した(21節)
と宣言しました。
イエスの言葉によって主の恵みの時が「今日」まさにこの時、実現したのです。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『主日の福音-C年』オリエンス宗教研究所
荒井献他監修『ギリシャ語 新約聖書釈義辞典』教文館