あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者(22節)
今日の福音朗読箇所は一部、昨年12月12日(待降節第三主日)と重複しています。
主要なテーマは洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼いわゆる「主の洗礼」です。
教会歴では今日は「『主の洗礼』主日」とされています。
この「主の洗礼」についてはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書が全て記しています。
そのことから、歴史上の人物としてのイエスいわゆる「史的イエス」について歴史的にも確かなのはイエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたことと十字架上で死んだことの2つくらいだ、という説さえなされています。
閑話休題(それはともかく)
ただ、同じエピソードを語っているにしても福音書によって力点が違うのはむしろ当然のことでしょう。
今日の福音朗読の後半21~22節はヨハネ以外が記しているエピソードですが、ルカはマタイ及びマルコと違う書き方をしています。
それは21~22節の文の構造を見るとはっきりしてきます。
ちょっと分かりにくいかもしれませんが、21節の
民衆が...祈っておられると
は文法用語でいうと従属文であり、主節は
天が開け...
が主文です。
4福音書を読み比べてみると、この場面で「イエスが祈っていた」という言葉を入れているのはルカだけです。
ルカにとってはイエスが洗礼者ヨハネより洗礼を受けたという「歴史的事実」よりもその後に起こったことが大事だったのです。
それは
聖霊が鳩のように見える姿でイエスの上に降って来た(22節)
ということです。
この伏線となっているのが、洗礼者ヨハネの
その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる(3章16節)
という言葉です。
イエスの上に聖霊が天から降ったというのはイザヤ書42章1節の
...わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ...
と結びつけられます。
イエスの上に聖霊が降ったということは、彼が神からの全権を委譲されたことの確かな徴だったのです。
そして、それは預言者イザヤの預言が成就したということも意味していると言って良いでしょう。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『主日の福音-C年』オリエンス宗教研究所