娘シオンよ、喜び叫べ(14」節)
今日の旧約聖書朗読はゼファニヤ書からです。
ゼファニヤ書は日ごろ余り馴染みのない書のひとつと言ってよいかもしれません。
実際、全体で3章、新共同訳では5ページ強に過ぎず、旧約聖書の中でもナホム書やハバクク書と並んで最も短い書の一つです。
このゼファニヤ書の1章1節には
ユダの王アモンの子ヨシヤ王の時代に、クシの子ゼファニヤに臨んだ主の言葉
と書かれています。
ヨシヤ王はBCE640~609年にユダ王国(南王国)の王位に就いていました。
その当時、オリエント世界を統治していたアッシリア帝国の勢力が衰えを見せており、そのような中でヨシヤ王はエルサレム神殿に宗教的祭儀を集中する宗教改革を行ったとされています。
ゼファニヤはその宗教改革が行われた前後に活動をした預言者でした。
今日の朗読箇所を大きく分けると
前半(14~15節) 地上に呼びかける天使の言葉
後半(16~17節) それを受けた「人々の叫び
となります(『主日の聖書解説<C年>』)
これらの4節に書かれている言葉は明快ですが、一つ疑問なのは14節の「喜び叫べ」という言葉です。
この「叫べ」の原語「ルーア」には「大きな声を出す」という意味があります。
ただ、この箇所においては単に「叫ぶ」のではなく「敵を打ち破って勝利の雄たけびを上げる」という意味に解釈する方が適当だと思われます。
現に、続く15節には「主は...お前の敵を追い払われた」と書かれていますので、文脈上からもそれは明らかだと思います。
そうすると単に「叫べ」ではそのニュアンスが十分に伝わりません。
新共同訳、聖書協会訳そして新改訳のいずれもこの「勝利の雄たけび」というニュアンスを取り去ってただ「叫べ」と訳していますが、その理由は分かりません。
閑話休題(それはともかく)。
もう一つ注目したいのは15節の「お前の中に」と17節の「お前のただなかに」という言葉です。
実はこの2つの原語は同じ「ケレーブ」という言葉で日本語聖書ではわざわざ訳し分けています。
この言葉の用法としては集まっている人々の「中に」とか「間に」という用例が圧倒的に多いのですが、「体の内に」という用例もないわけではありません。
そこで雨宮神父は、
この箇所に出て来る「敵」が「外敵」と同時に「自分の中に住み着いている『敵』」の両方を指していると考えることも出来る(『主日の聖書解説<C年>』)
とした上で
神がおまえのただ中に」来られるので、もはや「恐れる」ことも「力なく手を垂れる」こともなく、歓喜の声の中で生きることが出来る(『主日の聖書解説<C年>』
とのメッセージが与えられている、と結論づけておられるのです。
今日は日本語の聖書と原文の一見、些細なことのように思えるニュアンスの違いを学びました。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『図説雑学 旧約聖書』ナツメ社
大貫隆他編『岩波 キリスト教辞典』岩波書店