しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。(36節)
今日の朗読箇所は11月14日に読んだマルコによる福音書13章の並行記事です。
「終末」という言葉を聞くと私たちはどうしても「この世の終わり」「破滅」を想ってしまいます。
最近、小松左京の大ベストラー「日本沈没」を原作としたドラマがけっこう視聴率を稼いでいるらしいですね。
私自身はTVそのものを観ていないので内容についてはなんとも言えませんが...
アメリカ映画でも近未来のイメージは天変地異が地球全体を襲うというものがけっこう多いようですが、冷戦時代には核戦争の勃発だったと思います。
ただ、そうした映画の場合、大体において主人公を初めとして最後に生き残る人々があり、また新たな社会を造り始めるというところで終わるパターンが多いようにも感じます。
だいぶ前置きが長くなりました。
さて、今日の聖書箇所の内、28節には
あなたがたの解放の時が近いからだ
と書かれています。
ここで解放の時と意訳されている言葉の原語はアポリュトローシスというギリシャ語の言葉ですが、元々は対価を払って奴隷を買い戻すという意味があります。
訳としては「贖い」という言葉が充てられることが多いのですが、現代の日本語ではほとんど死語になっていて、日常的に「贖い」という言葉が使われるのは教会の中だけではないかと思うほどです。
今日の箇所でイエ、は天変地異が起こったときに
人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを人々は見る(27節)
と言います。
今まで何度も出てきていますが、いちおう復習をしておくと、イエスが「人の子」という時はほぼ例外なく自分自身を指しています。
また、雲は神の臨在を表す徴です。
それを踏まえた上で、このイエスの言葉は、「将来そういうことが起きるかもしれない」という予言ではなく、イエスの口を通した神の約束というべきでしょう。
ただし、それがいつ起こることなのなのかはイエス自身も知らないことなのです。
だからこそ、いつそれが起こっても良いように
いつも目を覚まして祈る(36節)
ことが大切だということでしょう。
最後に、34節の
放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい
というイエスの警告は心に刺さりますね。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』教友社
『主日の福音-C年』オリエンス宗教研究所