天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。(31節j)
マルコによる福音書の13章は「小黙示録」と呼ばれ、特別な内容となっています。
雨宮慧神父に拠れば、13章全体は
1~5節前半: イエスの説教がどのような状況で書かれたかを明示
5節後半~章の終わり: イエスの説教
と纏めることができます。
そして、この「イエスの説教」はさらに次の4つの単元に分かれています(『主日の福音-B年』)
5節後半~23節: 「気をつけている」ことについて
24節~27節: 人の子の到来
28節~32節: 「いちじくの木」のたとえ
33節~37節: 「目を覚ましている」ことについて
今日の福音朗読ではこれらの内、
人の子の到来
「いちじくの木」のたとえ
が主に読まれます。
先ず、今日の箇所の前提として5節以下には
イエスの名を名乗り、人を惑わす者多数
戦争や戦争の噂
地震
飢饉
迫害
偽メシア
などの苦難に見舞われると書かれています。
しかも、その苦難の後には、すぐに救いが来るのではなく、
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
星は空から落ち、
天体は揺り動かされる(24~25節)
という天変地異が訪れます。
「太陽は暗くなり」といいう言葉からは直ちに皆既日食が思い起こされますね。
日本の歴史で卑弥呼は皆既日食の予知が出来なかったために女王としての権威を失った、ということが良く言われますが、古代人にとって皆既日食はことさら不気味な自然現象だったのでしょう。
それらの苦難や天変地異の後、漸く
人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る(26節)
こととなります。
雲は聖書において神の臨在を顕す徴であることは既に何度か述べている通りです。
そして、この天より下って来る人の子は
選ばれた人たちを四方から呼び集める(26節)
のです。
この「選ばれた人」という言葉に「選民思想だ」とか「排他的だ」とか反発する声が聞かれるかもしれません。
しかし、ここでの「選ばれた人」はエリート集団どころか、むしろ様々な苦難や天変地異に耐えて信仰を守り続ける人々を指しているのです。
「選民思想」については歴史上、何度も反ユダヤ主義の立場から悪用されてきましたが、これについてもいずれ項を改めて論じることにいたします。
続いて、28節以下ではイエスが「いちじくの木のたとえ」を語った、と記されています。
いちじくの葉が伸びると夏が近いことが分かるように、様々な出来事が起これば人の子が近づいていることが分かる、というのです。
正直なところ「いちじくの木」と言われても今の私たちには余りピンときません。
ですが、いちじくはメソポタミア地方からエジプト、ギリシャそしてローマに至る古代世界では遡ると1万数年前から広く栽培され、最もありふれた植物ということです。
ですので、現代日本のしかも都会に住む私たちには今ひとつピンと来ないにせよ、イエスの言葉を直に聞いた人々やマルコによる福音書が編集された同時代人にとっては季節の移り変わりを表すものとしては大変に分かり易かったのでしょう。
そして、今日の福音朗読の結論としてイエスは
その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。(32節)
と言います。
「その日、その時」つまり終末の時は、人間はもちろん、天使たちさらには子であるイエスさら分からないというのです。
終末といいうのは決してノンクリスチャンが一般にイメージするこの世の破滅ではなく、救いの時なのです。
救いの時の到来が確実ならば、私たちはそれが来るのを待つのではなく、いつ来ても良いように『目を覚まして」日常生活を送ることが大切なのです。
雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社
『主日の福音-B年』オリエンス宗教研究所
大貫隆他編『岩波 キリスト教辞典』岩波書店