主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。(16節)
今日の旧約聖書朗読は現在のレバノン共和国に属するシドン地方のサレプタに派遣された預言者エリヤの物語です。
彼が活動したのは北王国オムリ王朝のアハズ王、アハズヤ王の時代(BC9世紀の時代でした。
アハズ王は
オムリの子アハブは彼以前の誰よりも主の目に悪とされることを行った(列王記上16章30節)
それまでのイスラエルのどの王にもましてイスラエルの神、主の怒りを招くことを行った(同32節)
と繰り返して記されているように、それまでの北王朝の歴史の中でも最悪の王と神は見做していました。
彼はシドンの王女イザベルつまり異邦人を妃に迎え、シリア・パレスチナ地方のいわば土着の宗教であるバアル神信仰を推し進めたのでした。
そのようなアハブ王に対して預言者エリヤは
主は生きておられる(同17章1節)
と告げた、と聖書に記されています。
バアル神信仰が猖獗を究めていたアハブ王の北王国において、これは毅然たる信仰告白でした。
実はエリヤという名前自体が、エルとヤハウェが合わさった「主こそ神」という意味なのです。
さて、エリヤは主によってシドンのサレプタに派遣されます。
神はその町に住む一人のやもめにエリヤを養うように命じるというのです。
サレプタの町に着いたエリヤは「やもめ」に水とパン一切れを求めます(11節)
それに対する彼女の答えは
一握りの小麦粉とわずかな脂が阿ああるだけで、それを自分と自分の息子が食べてしまうと、あとは死を待つしかない(12節)
といいう切迫したものでしたが、エリヤはそのような彼女に対して
まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしのために持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい(13節)
と重ねて言います。
考えてみると、このエリヤの言葉は実に無礼というか傲慢というしかありません。 彼はあくまで居候の身なのです!
しかし、エリヤは続けて
主が地の面に雨を降らせる日まで
壺の粉は尽きることなく
瓶の油はなくならない。(14節)
と言います。
このようなやり取りを踏まえて雨宮慧神父は
エリヤの態度は横暴とも見えますが、それはむしろ主の言葉への絶対的な信頼を表しています(『主日の聖書解説<B年>』)
としておられます。
エリヤは主の言葉に従って行動する真の預言者(『主日の聖書解説<B年>』)
だったのでした。
参考:
雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社
『図説雑学 旧約聖書』ナツメ社
大貫隆他『岩波 キリスト教辞典』岩波書店