聞け、イスラエルよ(4節)

 

今日の聖書箇所である申命記については以前にも触れましたが、いよいよ「約束の地」に入ろうとするイスラエルの民に対してモーセが行った説教でいわば彼の遺書ともいえる「告別説教」です。

 

雨宮慧神父によると、5~28章は申命記の中心的な部分を成し、

 

シナイでの出来事の回想と基本法の開示(5~11章)

個々の具体的な法の提示(12~26章)

祝福と呪い、全体の結び(28章)

 

という構成になっています。(『主日の聖書解説<B年>』)

 

なお、旧約聖書学上の定説では申命記が書かれたのはBC7世紀後半ですが(『図解雑学 旧約聖書』)、 27章jは後世の加筆と考えられています(『主日の聖書解説<B年>』)

 

2節に「主を畏れ」とあります。

 

「畏れ」の原語ヤーレーは一般に「恐れる」という意味の動詞ですが、日本語聖書(新共同訳及び協会訳)では敢えて「畏れ」という漢字をあてています。

 

この「畏れ」には単に「恐怖する」「怖がる」というより「自分よりはるかに大きな存在を崇敬する」という意味があります。

 

私たちも普段、ある人を敬う場合に「畏敬」、また自分より優れている友人を「畏友」ということがありますね。

 

ですので、「主を畏れ」

 

汚れた者に神が語りかけ、しかも死ぬことなく生き続けていることへの感謝と喜びを含む畏敬の念(『主日の聖書解説<B年>』)

 

を表す、ということになります。

 

この「畏敬の念」から

 

生きる道を示してくれた神への愛(『主日の聖書解説<B年>』)

 

が生まれます。

 

社会的な秩序に従順でなければならないという義務感や「掟と戒め」を破った場合に罰せられることへの恐怖感から「すべての掟と戒めを守る」(2節)のではありません。

 

全身全霊で神を愛するとき、初めて主から与えられた「掟と戒め」を守ることが出来るのです。

 

詩編の詩人の言葉にそれを見ます。

 

わたしは主を愛する。

主は嘆き祈る声を聞き

わたしに耳を傾けてくださる。

生涯、わたしは主を呼ぼう。(116編1~2節)

 

参考:

 

雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社

     『図説雑学 旧約聖書』ナツメ社

大貫隆他『岩波 キリスト教辞典』岩波書店