主の望まれることは

彼の手によって成し遂げられる。(11節)

 

 

これまでも度々、触れて来ましたようにイザヤ書という大書は

 

第一イザヤ(1~39章)

第二イザヤ(40~55章)

第三イザヤ(56~66章)

 

の3つに分けられます。

 

その内、今日の聖書箇所が含まれる「第二イザヤ」「第一イザヤ」とは別の、BC540年頃に捕囚地バビロンで活動をしていた預言者が著者というのが旧約聖書学上の定説となっています。

 

この「第二イザヤ」が活動していたのは、元々は現イランの南西部にあった小王国アンシャンのキュロス王がそれまで隷属していたメディア王国を滅ぼし、ペルシャ帝国として古代オリエント全体に勢力を拡大しつつある時期に当たります。

 

ペルシャ帝国(アケメネス朝)は最盛期には現在のパキスタンからギリシャ、エジプトまでを含む大帝国となったのです。

 

 

この巨大帝国であるアケメネス朝ペルシャ帝国を滅ぼしたのはアレクサンダー大王でした(BC330年)

 

「第二イザヤ」はこのキュロス王によるペルシャの勢力拡大の背景に「神の働きを見」て、

 

神がキュロス王を立てた目的は、捕囚民を解放しエルサレムに帰還させることにある(『主日の聖書解説<B年>』)


と説いた、というのです。

 

イザヤ書には次のような預言が書かれています。

 

主が油を注がれた人キュロスについて

主はこう言われる。

わたしは彼の右の手を固く取り

国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。

扉は彼の前に開かれ

どの城門も閉ざされることはない(45章1節)

 

この「第二イザヤ」による預言は捕囚地のイスラエルの民には受け入れられませんでした。

 

考えてみれば、これは当然ですね。

 

ペルシャ帝国キュロス王によってバビロニア帝国が滅ぼされても、結局は別の帝国の支配下に置かれることに変わりはないからです。

 

そればかりか、「第二イザヤ」はキュロス王を「主が油を注がれた人」つまりメシアとまで言い切りました。

 

ここまで来てしまうと、捕囚下にあるイスラエルの民も単に「第二イザヤ」を無視するだけに留まらなかったのでしょう。

 

聖書には

 

背中を打ち、ひげを抜こうとし、嘲りと唾を浴びせかけた(50章6節)

 

と書かれていますが、むしろ当然なのかもしれません。

 

今日の聖書箇所は52章13節から53章末まで

 

主の僕の苦難と死(新共同訳における見出し)

 

を描写している中でも中心的な部分です。

 

クリスチャンは伝統的に、この「苦難の僕」を「イエスの告知」と理解し、イザヤ書53章は特にイースターに先立つ「四旬節」の時期に良く読まれています。

 

53章1~9節に詳しく書かれている「僕」の姿に、苦難を受けて最後は十字架につけられたイエスの姿を投影するのです。

 

ただここでいったんキリスト教的な見方を離れると、この「苦難の僕」「第二イザヤ」にとって

 

苦しみを神の計画として引き受け、民に平和といやしをもたらす特別な人物(『主日の聖書解説<B年>』)

 

ということになります。

 

「苦難の僕」「民の背き」の全てを負って裁きを受け、死に至ります。

 

しかし、彼はそれが主の望まれることを知っていたがゆえに

 

多くの人が正しい者とされるために彼らの罪を自ら負った(11節)

 

のでした。

 

「第二イザヤ」はイスラエルの民から嘲り、攻撃を受け続ける苦しみの中で、この「苦難の僕」の姿に自分自身を重ね合わせた、ということなのでしょう。

 

参考:

 

雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社

    『図説雑学 旧約聖書』ナツメ社

Abraham Joshua Heschel "The Prophets"1962, New York.