わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい(34節)

 

今日の福音も大変に有名な箇所ですが、次の三つのことがらについて学びましょう。

 

1. ペトロが信仰を告白する

2. イエスはペトロに憑いた悪霊を退ける

3. イエスは十字架を背負うことを促す

 

まず、27~30節ではイエスの

 

人々は、そしてあなたたちはわたしのことを何者と言うか

 

との問いに対して、弟子たちは

 

人々は「洗礼者ヨハネ、預言者エリヤあるいは預言者の一人」と言っている

 

と応えますが、パウロは

 

あなたは、メシアです(29節)

 

と応えます。 つまり、パウロは信仰を告白した、ということになるのですが、実はパウロを含めて弟子たちが期待していたのは

 

異邦人による支配からイスラエルを解放する現世的なメシア(『主日の福音解説<B年>』)

 

でした。

 

ですから、イエスが自分の死と復活について語った時(31節)、それを諫めようととしたペトロにサタンが憑いていることを見抜いたイエスは

 

引き下がれ(33節)

 

と命じたのでした。

 

サタンの目論見は、弟子たちが

 

神のことを思わず、人間のことを思っている(33節)

 

状態にしておくことでした。 

 

つまりサタンにとっては、弟子たちを初め人々が、イエスはイスラエルを異邦人(ローマ帝国)から解放してくれるメシア(指導者)である、と信じていた方が都合が良いわけです。

 

サタンを退けた後、イエスは

 

わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい(34節)

 

と、弟子たちだけでなく群衆にも言いました。

 

「十字架を背負う」という言葉から私たちが普通、思い浮かべるのは、重い負担を負って生き続ける、暗い過去を引きずって生きる、というような状況でしょう。

 

例えば、誰かが重大な事故を起こして多くの死傷者を出してしまったような場合に「誰それは一生涯、重い十字架を背負って生きることになる」などという使い方です。

 

しかし、イエスが「十字架を背負え」と言った意味は違っています。

 

ここでの「十字架」とは、人間の常識とは離れた「神の思い」のこと(『主日の福音解説<B年>』)

 

であるとすれば、「十字架を背負う」とは「人間の思い」を捨てて「神の思い:に従うことに他なりません。

 

参考:

 

雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社

     『主日の福音-B年』オリエンス宗教研究所