そのとき、観えない人の目が開き

聞こえない人の耳が開く(5節)

 

イザヤ書は全部で66章から成る大きなもので、エレミヤ書エゼキエル書と共に「三大預言書」とされています。

 

66章の内、1~39章まではBC8世紀後半の預言者イザヤですが、40~55章までは時代を下った別の預言者によるもので、実名が特定できないことから「第二イザヤ」、56章以降は更に別の預言者によるものとして「第三イザヤ」と各々、呼ばれています。

 

35章は最初のイザヤに属するのですが、聖書学の研究ではこの「第一イザヤ」の中にも「第二イザヤ」以降の加筆の部分があり、雨宮慧神父によると今日の箇所もその一つにあたるとのことです(『主日の福音解説<B年>』)。

 

新約聖書においてもそうですが、特に旧約聖書を読む場合には書かれている時代背景が頭に入っていることが本文の理解を深めるために必要といえるでしょう。

 

今日の箇所の場合も歴史的な背景としては

 

人々はエルサレムに帰還し、神殿も再建されましたが、ペルシャの支配は盤石な上に、飢餓すれすれの生活も解消されず、失意と不安のうちに生きていました(『主日の福音解説<B年>』)

 

という状態でした。

 

ちょうど、エジプトの奴隷状態から解放されたものの飲まず食わずで市内の荒野を彷徨ったイスラエルの祖先たちの有り様を彷彿とさせますね。

 

預言者は苦境にあるイスラエルの人々に

 

雄々しくあれ、恐れるな(4節)

 

と呼びかけます。

 

なぜなら、

 

敵を打ち、悪に報いる神が来られる。

神は来て、あなたたちを救われる(4節)

 

からです。

 

35章5節以下では「そのとき」つまり神が来てイスラエルの人々が救われる時には何が起こるのかが色々と書かれています。

 

5節、6節の文頭が「そのとき」の繰り返しになっているのは、それによって救いの日の到来を力強く歌うためです(『主日の福音解説<B年>』)

 

5~6節には体の不自由な人たちに癒しがある様子が描かれていますが、これは今日の福音朗読に繋がって行きます。

 

イザヤの預言はイエスによって実現されることとなりました。

 

参考:

 

雨宮慧『主日の福音解説<B年>』教友社

     『図解雑学 旧約聖書』ナツメ社