主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。(4節)

 

今日の聖書箇所の直前には

 

「ユダのベエル・シェバに来て、自分の従者をそこに残し」(3節)

 

とあります。 

 

ベエル・シェバというのは旧約聖書の創世記(22章)などに出て来る地名ですが、歴代誌上には

 

「ベエル・シェバからダンに及ぶイスラエル人の数を数え」(21章2節)

 

と書かれているようにイスラエル民族が居住していた地域の内、北端の集落ダンに対し南端の集落ベエル・シェバを指しています。

 

「ダンからベエル・シェバまで」という言い方のほうが普通のようですが、要するにイスラエル民族が居住している全域を指す表現というわけです。

 

ベエル・シェバは現在のイスラエル共和国においてもネゲブ砂漠地方で最大の都市となっています。

 

今日の聖書箇所では、預言者エリアはベエル・シェバに従者を残して

 

「荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた」(4節)

 

と書かれています。

 

試しにGoogle Earthでベエル・シェバ(Beersheba)を見ますと、その南側にはごく小さな集落や恐らく軍の基地らしきものが点々とあるだけで、あとはアカバ湾とシナイ半島に向けて茫漠たる砂漠が広がっています。

 

現代ですらそうなのですから、預言者エリアが生きた時代にはベエル・シェバを一歩出れば後は無人の荒野がどこまでも広がっていたことでしょう。

 

そこで何故、預言者エリヤはそのような砂漠に逃げ出さざるを得なかったのでしょうか。

 

その詳しい経緯については列王記上17~18章に書かれていますが長くなりますので、今日のところは簡単に

 

イスラエル王国(北王国)アハブ王の王妃イザベルの怒りを買って殺害されそうになったエリヤは南のユダ王国を経て、ついにネゲブさばくまで落ち延びて来た

 

とだけにしておきます。

 

前置きが長くなりましたが、丸一日、砂漠を彷徨ったエリヤはついに神に

 

「主よ、もう十分です。わたしの命をとってください。」(4節)

 

と訴えます。

 

雨宮慧神父は、このエリヤの言葉について「不満を表明した」と解説しておられます。

 

確かに、エリヤの立場からすれば、

 

主の召命に応えて言葉を預かり伝える者として一生懸命、働いた挙句に身の危険を感じるほどの苦境に立たされるのは何事か。 もう疲れ果てた。

 

と不満を言い、自暴自棄となって4節のような言葉を吐く心境も十分に理解できますね。

 

それに対して神は直接、応えたわけではありませんが、御使いを遣わして水とパン菓子を与えました。

 

エリヤは何とか力を得て、「神の山ホレブ」に旅を続けるのでした。

 

最後にもう一度、定説ではこの「神の山ホレブ」を指すといわれているシナイ半島南部の「ジェベル・ムーサー」をGoogleEarthでチェックすると、現代でもベエル・シェバからたどり着くのは大変そうな場所です。

 

まして、エリヤにとって、その「四十日四十夜」はどんなに苦しい旅だったでしょうか。

 

参考:

 

雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社