彼の代にユダは救われ

イスラエルは安らかに住む。

彼の名は、「主は彼らの正義」と呼ばれる。(6節)

 

預言者エレミヤはベニヤミン・アナトト(新共同訳聖書巻末「聖書地図」第5図)の祭司ヒルキヤの子として生まれ、ユダ王国のヨシア王の 13年 (前 626年) に召命を受け、エルサレム陥落(前587年)までの約40年間、預言者として活動しました(エレミヤ書1章1~3節)

 

今日、取り上げるエレミヤ書では特に「新しい契約」(31章)が良く知られています。


さて、今日の聖書箇所ですが、雨宮慧神父に拠れば大きく次の3つに分けられます。

 

1. 神の裁きの言葉(1~2節)

2. 救いの告知(3~4節)

3. 到来の予告(5~6節)

 

先ず、1.「神の裁きの言葉」では、牧者たちが羊の群れを養うどころか追い払うという悪い行為をしたので罰する、という神の言葉が記されます。

 

この場合の牧者とは羊つまりイスラエルの民を神から託された王たちを指しています。

 

実は、2節の「顧みる」と「罰する」のヘブライ語の原語は同じパーカドという言葉です。

 

日本語で「顧みる」と言うと「後ろを振り返る」「回顧する」「気に掛ける」という意味になります。

 

しかし、このパーカドには「顧みる」の他にも色々な意味がありますが、「罰する」もその一つなのです。

 

この言葉について雨宮神父は

 

この語の基本的な語義は「上位の者が下位の者に特別の注意を払い、その者の状況を変えるようにと関わる」ということです。(「主日の聖書解説<B年>)

 

と解説されています。 そこで相手によっては「罰する」場合もあるということになるわけです。

 

2.救いの告知では、神は残った羊を元の牧場に集めて数を増やし、彼らのために新しい牧者を立てる、と告知がなされます。

 

そうすればその群れは「恐れることも、おびえることも、迷い出ることもない」と神は言います(4節)

 

3. 到来の予告では、新たに立てられる牧者とは「正しい若枝」(5節)であり、彼は「主は我らの正義」(6節)と呼ばれる、と告知されます。

 

旧約聖書に親しんでいる方なら「若枝」という言葉から、

 

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで

その根から若枝が育ち

 

というイザヤ書11章1節を思い起こされることでしょう。

 

この「若枝」を通して神の救いが示されるのです。

 

参考:

 

雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』教友社

     『図解雑学 旧約聖書』ナツメ社